部屋と沈黙

本と生活の記録

紙の束と石ころの山

オンライン紙博で配信された柴田元幸の朗読ライブを観る。

柴田先生の「いま、これ訳してます」という作品が3つ朗読され、そのうちのひとつがシャーリイ・ジャクスンの『くじ』だった。江戸川乱歩が言うところの「奇妙な味」好きとしては、怖くてへんてこな小説を書くシャーリイ・ジャクスンのことももちろん好きで、いくつか読んだことがある。

f:id:roomandsilence:20200810232156j:plain:w400

ただ、この『くじ』だけは、どうしても好きになれない。

いや、という漢字には厭と嫌があって厭、のほうが本当にいやな感じがあるので、厭を練習。厭。厭。
川上未映子『乳と卵』より

「本当にいや」を感じると、いつもこの文章を思い出す。本当にいや。厭。厭。

物語の冒頭に登場する大きな石ころの山、子どもたちのポケットに詰め込まれていく丸い石が、不安を煽る。何かとても酷いことが起こりそうな悪い予感が積み上げられていく。村人たちは、これから何が行われるのかを知っている。「くじ」だ。ただ、読み手である私だけが“知らない”。その心許なさと、怖さ。初読の不穏さは別格だ。

1948年、雑誌『ニューヨーカー』に発表された当時、読者から激しい非難にさらされたという『くじ』は、今やシャーリイ・ジャクスンの代名詞になっていて、文春文庫の『厭な物語』というアンソロジーにも収録されている。

f:id:roomandsilence:20200810232231j:plain:w400

ええか、くじは“いつだって”あったんじゃ。

77回の「くじ」に参加し、もはや「くじ」を引くことに疑問すら覚えない石頭のワーナーじいさまも、たまに真実を言う。「くじ」は“いつだって”ある。かたちを変えて、今も。石の代わりになるものなんて、いくらでもあるのだ。あらためて用意する必要はない。それこそ道端の石ころみたいに、そこら中にある。もしかしたら、それはもう、お前の手の内にあるのかもしれない。

そう思わせるところが、『くじ』を名作たらしめてる所以じゃないかな。人間が持つ根源的な傷について書かれている。これはあれだ、『インヒアレント・ヴァイス』と少し似てるし、このコロナ禍の構造ともよく似てる。誰もが例外ではない。厭な“物語”で終わらせることができない。フィクションですむのなら、どんなによかったか。

だからこそ、ほんとに厭。『インヒアレント・ヴァイス』にはドックがいたけれど、『くじ』にはいない。じゃあ、この世界には?

手を見る。握りしめる。そこに石がないことを確かめるみたいに。


おまけ
曽我部恵一が濁らないってことを、この紙博で初めて知った。そかべけいいち。澄んだ声とざらついた声が同居した歌は子守唄のようだったり、朗読のようだったり、ラップのようだったり、ただの叫びだったりした。約50分、MCなしで歌い続け、そのまま立ち去ったかと思えば、ギターをグラスに持ちかえて「あつい!」と言いながらステージに戻り、へにゃへにゃしている。

あと、弾き語りをする男の人って、もしかして全員ロマンチストなの?という疑念が湧く。なんか最近、そんな気がする。


紙の束とピアノの音

オンライン紙博のライブラインナップに「曽我部恵一」の名前を見つけて、積読の山から『昨日・今日・明日』を引っ張り出してきた。

f:id:roomandsilence:20200809085202j:plain:w400

ちくま文庫版の奥付は2009年11月10日。それよりももっと前(だったと思う)、ROCKIN'ON JAPANで連載されていたコラムが好きで、よく読んでいた。

若者よ、恐るるなかれ、天使だけが絶対じゃない。

文庫版のために寄せられた前書きが、11年後の今の気持ちにしっくり合う。かなり偏った、不完全な知識しか持ち合わせないまま、8月9日の夕方、歌う曽我部恵一を初めて観ることになる。

2020.8.8 Sat. 14:00- コトリンゴ(music live)
オンライン紙博

オンラインライブのいいところは、涙が出そうになるのを堪えなくていいところだと、コトリンゴの歌とピアノを聴きながら思う。私の涙は超安いから、わりとすぐ泣きそうになる。

誰かが泣いてると、びっくりして我にかえるよね。えっ、どうしたん!?って。せっかくライブに来てんのに、たまたま近くにいた私が突発的にグズりだしたら気が散るやろうなぁと思うのと、泣くのってすごく個人的なことで、私としても恥ずかしいし。だから、家の外で泣きそうになると、怒ってるみたいな変な顔で我慢してる。

歌も、声も、ピアノも素敵だった。ピアノの音がずっと好きだったことを思い出した。

遠い昔、3歳のころからヤマハ音楽教室に通わされ、中3までピアノを習わされていた。練習嫌いなうえに、オクターブがやっとの小さな手で、ただ「やらされて」いたせいで、残念ながら、まったくものにはならなかった。それでも、リズムとメロディが和音になって響くピアノの音が好きだった。

実家には、調律されなくなって久しいアップライトピアノと、28のときに自分で買った安価な電子ピアノがある。電子ピアノは、失恋がきっかけの気まぐれな思いつきだった。自分の慰めのためだけに小さな音で下手くそなピアノを弾くことが、すごく特別なことのように思えたのだ。誰にも聴かせない、誰にも渡さない音。まさか、かつて「やらされて」いたことに救われるときがくるなんてね。

29で電子ピアノもろとも実家に戻り、その後、再び一人暮らしを始めた。ただでさえ本が多いのに、さらにでかくて重い88鍵を運ぶなんてと面倒くさがっていたけれど、また弾きたくなっている。

f:id:roomandsilence:20200809090624j:plain:w600
https://online.kamihaku.jp

オンライン紙博のミーティング開催期間は8/9、お買いものは8/14まで。ライブやトークイベントはアーカイブされるみたいだから、私の紙博はしばらく続きそう。

9日の14時からは柴田先生の朗読ライブがあるし、自宅にいるのに超忙しいよ。


おまけ
コトリンゴのベストアルバムをチェックしていたら、須藤寿がいる。またしても地引網に引っかかって繋がってんのに驚く。もしかして、わりと「あるある」なの?びっくりしてんのお前だけだから、みたいな感じなのかしら。髭のYouTube配信『RemoTE HiGE』でスポット公開されたニューアルバムの音源もすごく良かったな。9月には配信ライブがあるらしい。

とはいえ、紙博でお買いものもしたし、ENNDISCのサマーセールでも買っちゃったし、ペトロールズからはライブ音源が出そうだし、バンアパはリリースラッシュだし、いつものように欲しい本が山ほどあるし、オンラインでいろいろなものが手に入るようになって、だからこそ、手が届かないものも増えたと思う。もっと正確に表現するなら、手が届かないと思い知ることが増えた。もっと正直に言うと、お金が足りないってこと!

何に手を伸ばして触ろうか。

≒ book

なにしろ本が好きなので、持っているTシャツも本にまつわるものが多い。ディック・ブルーナ、ヨゼフ・チャペック、トミー・ウンゲラー、バージニア・リー・バートン、長新太せなけいこ、きくちちき。夏の私は、概ね絵本のなかの絵を着て暮らす。

なお、とっておきはこれ。

f:id:roomandsilence:20200806195030j:plain:w400

“BOOK”Tシャツ。もはや「本」という概念を着ていると言っても過言……だろうけど、まあいいじゃない。過言ではない。

f:id:roomandsilence:20200806195035j:plain:w400

本をモチーフにした小さいものも好き。“ブラック・ベア”の目が赤いのは、夜中まで本を読みふけっていたから。

パンダのキーホルダーは、かつて新潮文庫のイメージキャラクターだった“Yonda?くん”を、リサ・ラーソンがデザインしたもの。夏の100冊キャンペーンのノベルティ・グッズで、当時「あんまり可愛くない」と不評だったのを覚えている。キャンペーン終了後、販促物の余りものとして捨てられそうになっていたところを譲り受けた。なんとも言えない妙な顔つきが好き。

あとは、骨董市で見つけた外国のピンバッジとか、ひらがなの「ほん」が可愛い木製のブローチとか(「本」や「BOOK」や「ブック」もあった気がする)。

「本に対して狂っている」のがビブリオマニアだとして、好きを縦に積み上げるのが蔵書狂なら、私は横に延べたい。本にまつわるいろいろが好き。読むだけじゃ足りない。触りたいし、着たい。

ちなみに「纏う」こともできる。

f:id:roomandsilence:20200806195044j:plain:w400

ライフスタイル誌“Wallpaper(ウォールペーパー)”と、ドイツの出版社“STEIDL(シュタイデル)”が手掛けたという、「新品の本の香り」をモチーフにした香水“Paper Passion(ペーパー パッション)”。写真は“& Premium(アンド プレミアム)”に取り上げられていたときのもの。

「本」という概念を着て「新品の本の香り」を纏えば、それは限りなく「本」に近づく。

村上T 僕の愛したTシャツたち

村上T 僕の愛したTシャツたち

今週のお題「お気に入りのTシャツ」