部屋と沈黙

本と生活の記録

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』3D

終演が深夜になるため、お風呂を済ませてから火曜のレイトへ。むき出しの素顔が心許なく、蛍光灯の明るい通路をうつむいて歩いた。足元は一足250円の似非クロックス。ちょっとそこまで、ごみを出しに行くような格好で行く。

前作がおもしろかっただけに「続編がコケるのはよくあること」と、期待しすぎないよう用心していたのだけれど、そういう余計な心配を軽々と超えていく出来だった。これから新たなシリーズを始めるにあたっての布石として申し分ない。

※以下、本筋に関わりのない軽微なネタバレがあります。ご了承ください。


3D吹替版の入場者特典は、レコードジャケットみたいな正方形のミニポスター。

スター・ウォーズ』×『フルハウス』=『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』!?
主人公ピーター・クイルのルーツはもちろん、姉妹同然に育てられたガモーラとネビュラのいびつな関係から、仲間同士の結びつきまで、様々なかたちの“ホーム”が描かれる今作は、「宇宙のいざこざ」と「ホームコメディ」の合いの子であると言えよう。『フルハウス』を思い出してほしい。“hahaha!”と“oh…”の悲喜こもごもだったはずだ。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』もまた、「コメディ」と「ドラマ」をきちんと見せてくれる。

ウィットに富まない
知的なユーモアやエスプリとは無縁の彼らは、冗談みたいなことを大真面目にやってのける。混じりっけなしの真剣さで、生きるか死ぬかの境目をセロテープに託そうとする、その茶目っ気が好き。テープだってよ、宇宙戦争なのに。

魅力的なキャラクター
なにしろ主人公が恋心を抱いているのは異星人の暗殺者なのだ。スーパーヒーローとか弱きヒロインにありがちな一方向の庇護じゃなく、それぞれが自立し、その上で恋をするなんて素敵だと思う。
ドラゴンボールで言うところの“ベジータ”になりそうなネビュラもいいし、新キャラのマンティスもいい。
公式のキャラクター紹介にはないものの、ヨンドゥの部下であるクラグリンも気になる。彼には、曲者ぞろいのガーディアンズ・オブ・ギャラクシー唯一の良心として、是非頑張ってもらいたいところだ。ああいう一見普通っぽい、スラムダンクのメガネ君的ベンチ要員が、時を経て覚醒するとおいしいでしょ。おいしいに決まってる。

今ひとつなのは邦題くらいかな。原題は“Guardians of the Galaxy Vol. 2”なんだけど、これは主人公が母親から譲り受けたミックステープのナンバリングに掛けられたもので、シンプルながらも深い意図があるのだ。もったいない。

赤ペン先生に言いたい

日常的に図書館で本を借りていると、いろいろな痕跡に遭遇する。料理本に食べ物系のシミがあるのはまぁ可愛いほうで、ちょっと複雑なのは栞の端の玉結びだ。その結ばれ具合をみても、図書館側の運用だとは考えにくい。となれば、読んだ本が一目で分かるよう、利用者の誰かがやっているのだ。公共物に「自分のため」のしるしを残す、その心根よ。見つけ次第ほどいて伸ばし、ページのあいだに挟んでいる。分かんなくなってしまえ。

それ以上に書くもおぞましいのは、数ページおきにはりつく毛根付きの短い毛だ……。どうか、どうかすみやかに死んでくれ。

予期しない痕跡なんて、大抵は腹の立つことばっかりなのだが、このあいだの河出書房新社刊1995年初版発行のチャールズ・ブコウスキー『くそったれ!少年時代』は、ちょっと違った。

P200 自分自身がそうしたどうしようもない落ちこぼれどもに何故か親しみを覚えてしまうということが事実としてある以上、それほど疎ましくは思わなかった。


自分自身がそうしたどうしようもない落ちこぼれどもに何故か親しみを覚えてしまうということが事実としてあることがまた、私には疎ましかった。

赤ペン先生登場。うん、これは訂正後のほうがいい。ブコウスキーと友達だったら、こっちのがいいよって言うレベル。訂正前と後で意味が全く違うのは、おそらく元々が誤訳なんだろう。原文読んでないけど。

途端に、訳者の中川五郎が信じられなくなる。翻訳文学を愛読する者にとっては致命的な天変地異。それだけ、名無しの赤ペン先生の訂正文は強烈だった。

P322 玄関のところで迎えてくれたのは、にこやかに微笑む太った少年で、生まれてからこの方ずっと火のそばで栗を食べていたかのようだ。

P331 人にタイプライターを与えたら、その人間は作家になる。

P373 わたしは人間嫌いでも女嫌いでもないが、一人でいるのが好きだった。小さな場所に一人で座って、煙草を吸ったり、酒を飲んだりしていると気が休まる。自分自身とはいつも楽しくつきあうことができた。

いくつか好きな文章があるんですけど、と赤ペン先生に言いたい。この訳文、間違ってないですかね?

好きになっていく

ゴールデンウィーク最終日の日記を書く前にゴールデンウィークが終わってしまった。日常。たとえば「毎日が夏休みだったらなぁ」なんて話をすると、たいていは「そんなの数週間もしたら飽きてくるよ」みたいなことを言われるんだけど、飽きる?飽きないよね。一生かかっても読みきれない本、観きれない映画、知らない音楽、知らない国、知らないことが目白押しの世界は飽きない。ただ金がない。そうして、買ってもいない宝くじに思いをはせるのが、今のところの私の人生なのだ。

とはいえ、生きているといつのまにか狭量になっていく。知らないことには手を出さなくなる。個人的には音楽の分野について顕著で、いわゆる「最近のバンドはよう分からん」問題である。不倫騒動で話題になったバンド名をワイドショーで知ったとき、今こんなことになってんのかと度肝を抜かれた。

そんな状態で今年、一人で夏フェスへ行こうと計画している。ラジオで聴いて、久しぶりにいいなと思った若手バンドが出演するのと、一緒にフェスへ行っても気詰まりにならない友達ができるのを待っていたら、そのうち死んでしまうと思ったからだ。出演アーティストの半分以上、名前すら知らない。知らないまま、死んでしまうところだった。

数々のコンサートに足を運んでいる私の母は、好きだから行くこともあれば、友達に誘われたその日からそのアーティストの楽曲を日常的に聴いて、好きになって、行くこともある。SMAP、嵐、ゆず、小田和正加山雄三ファンキー・モンキー・ベイビーズ……。スピッツのコンサートチケットの一般販売に駆り出されたこともある(落選)。ちなみに、私が行こうとしている夏フェスへも行ったことがあり、アレキサンドロスがシャンペインだったときを知っている。私なんか、改名騒ぎがあったときに初めて知ったぞ。そのときのフェスTシャツは、母の夏用の寝間着だ。

そんなだから、これから好きになるのも遅くはない。一人夏フェスについてもまた報告します。


でもさー、やっぱり18、9のころから聴いてるthe band apartとかZAZEN BOYS(もしくは向井秀徳)の出演を期待してしまうのよね。