部屋と沈黙

本と生活の記録

新しい年、新しい一日

昨年夏に祖父が亡くなり、今年の年明けは静かに過ぎていく。

7月17日(月)晴れ
じいちゃんのお見舞いへ行ってきた。もうほとんどの時間を眠って過ごしているという。話しかけるとまぶたが開いて、薄青色の目が見える。その目尻が少し濡れたような気がした。
母さんと喪服や相続のことについて話す。一人になると涙が出た。それがたとえ寿命でも、死の喪失感には慣れない。死の予感が私の心をざっくり持っていく。容赦なく、心のなかの何かを奪っていく。心のなかの何かが、大きく死ぬような気がする。これからどれだけの死を受け入れなければならないのか。そう思うとぞっとする。
病室前のネームプレートに赤、黄、青の小さな丸シールが貼られていて、じいちゃんは赤だった。

7月22日(土)晴れ
葬儀。死ぬのは大仕事だな、と思う。私もその大仕事をいつか必ずしなければならない。今読んでるオースターの『孤独の発明』に「生は死の所有物」みたいな内容の文章がある。所有者なのは死のほう。生はきらめき。だいたい、死んでる時間のほうが長くなるんだから、生きてるうちにやってみたいことはやってみようと思う。

園芸店の新春セールでオリーブの苗木と、多肉植物のウ……、〈ウンブラティコラ〉を買う。これ、覚えらんないなぁ。軟葉系ハオルチアの一種で、透明感のある葉が特徴。硬葉系ハオルチアの〈十二の巻〉に水をやると、ロゼットを広げて分かりやすく元気にしているから、〈ウンブラティコラ〉も同じく水が好きだろうと思う。

心のなかで〈乙女ちっくおじさん〉と呼び親しんでいる穂村弘の『きっとあの人は眠っているんだよ』を読む。週刊誌に連載された読書日記をまとめたもので、いくつか読み覚えがある。きっとコンビニで週刊文春を立ち読みしたときに読んだんだろう。「気持ち良い、気持ち悪さ」を体現する稀有なおじさんだ。私も乙女の端くれだから、穂村弘の乙女ちっくな部分にびりびり共振してしまう。市川春子!いいよね、分かる〜、みたいな。
気になるタイトルを抜き書きして、読みたい本のリストを長くする。

ブログ福袋

スマートフォンのメモ機能に残された2017年の残骸を、自戒の念も込めここに記す。いずれもブログ用に書き始め、書き終えられず今まで放っておいたものだ。

更新時期を逸したり、もう少し書きたいことがあるはずなのにそれが何かよく分からなかったり、いちばん気持ちの悪い文章を引用してやろうと思っていたら図書の返却期限がきたり、とにかく雑多でやや長く、未完了な文章なので、当たり外れのある福袋のようなものだと思って読んでほしい。

2018年はこのようなことがないようにしたい。が、自信なし!読んでくださっているあなた、ありがとう。来年もよろしくお願いします。


1.
NHKの『おやすみ日本 眠いいね!』に向井秀徳が出演するというので、早々に寝る支度を済ませる。なんていうか、ほとんど放送事故みたいな番組だなぁ。ついでにアイロンをかける。スカート2枚、シャツ3枚。

峯田和伸と歌った『守ってあげたい』。もう少し向井に歌ってほしかった。妙なタイミングで流れ始めた遠藤賢司の『おやすみ』がとても良い曲だった。知らなかったな。


2.
2017.12.3 sun.
北九州芸術劇場

イキウメの舞台『散歩する侵略者』を観に行く。初演は2005年。2017年には長澤まさみ松田龍平主演で映画化され、今回の舞台は4度目の再演となる。

海に近い町に住む、真治と鳴海の夫婦。真治は数日間の行方不明の後、まるで別の人格になって帰ってきた。素直で穏やか、でもどこかちぐはぐで話が通じない。不仲だった夫の変化に戸惑う鳴海を置いて、真治は毎日散歩に出かける。町では一家惨殺事件が発生し、奇妙な現象が頻発。取材に訪れたジャーナリストの桜井は、“侵略者”の影を見るーー。

愛はひとつの侵略かもしれない。ときに暴力よりも暴力的に感情を捕らえ、身動きを取れなくさせる。その拘束は甘美だ。
自由と不自由。拡大と収束。その両方を実現し得る愛は危うい。

観劇前に、カジュアルなフレンチ・イタリアンのお店〈Yukio’n toko〉ユキオントコで腹ごしらえ。カウンターメインの細長い店内にはワインボトルが並び、『ゴッドファーザー パート2』のマイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)のポスターが掛けられている。換気扇の故障なのか、ひどく煙い。ランチメニューのなかから、若鶏の香草パン粉焼きを注文。
狭いオープンキッチンで作業するスタッフさんを眺めているだけでも楽しい。無駄な動きがひとつもない。


3.
普段は読まない雑誌のお知らせコーナーに、マームとジプシーの公演情報が小さく記されていた。
MUM&GYPSY 10th Anniversary Tour
すぐに、 ネット検索で空席のあった『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、 そこ、きっと──────』のチケットを買う。マームとジプシーの公演を観るのは『cocoon』以来、2年ぶりだ。せっかくなので、今年の4月に刊行された藤田貴大のエッセイ集を読む。

(引用)
『もりのなかのおんなのこ』より

……。舞台がよかったから気にしないふりをしていたけれど、『cocoon』のフライヤーにもその兆しはあった。

この文体の気持ち悪さを言葉にするなら、「ぼく」と「ぼくの文章」との近さだろうか。句読点の多用によって生まれた妙な抑揚に酔う。

藤田貴大は自らの舞台に出演する女優のブラジャーを選ぶという。演出家なんだから選んだっていいんだけど、選ぶんだ……。

気持ち悪さには2種類ある。「気持ち良い、気持ち悪さ」と「本気で気持ち悪い、気持ち悪さ」だ。

公演当日、きっと私は女優のブラジャーを思い出すだろう。その者、選ばれしブラジャーをまといて舞台の上に降り立つべし。


4.
週末どこへ出かけるでもなく、レコーダーの録画リストを短くしていた11月。

先週末、ジム・ジャームッシュの『パターソン』を観に、山口情報芸術センターへ行ってきた。

「ポエム」ならば気恥ずかしく、「詩」ならば難しい。
生活のなかの詩

おでこから進む


5.
例えば「顔芸あっての高橋一生」みたいなひと言を「NHK」と「THIS IS US」にハッシュタグをつけて呟きたいと思うことはある。『耳をすませば』の天沢聖司は悪くないのに、『THIS IS US』のケヴィンはなんであんななんだ。


6.
NHKの「美の壷・選」でコーヒーポットが


7.
先週末は門司港グランマーケットへ行ってきた。台風の接近で天気が悪く、寒い。

本のブローチとドライフラワーのブーケを買う。ブローチは白鳥座雑貨店のブースで。英語やカタカナもあったけれど、ひらがなの「ほん」がいちばんかわいいと思う。


8.
自分への誕生日プレゼントに『大いなる沈黙へ』のDVDを買う。

そういえば、このあいだジムへ行ったときに、お誕生月のサービスチケットをもらったんだけど、その日こそがお誕生日であることも知られていた。つまり、お誕生日当日にもかかわらず、ジムなんかへ行けるほどの暇人だとバレたのである。

……でも、おめでとうございますって言ってもらえたよ!


9.
夏フェス用に購入したカシオの腕時計が思いのほか役に立っている。

ジムへ行くときにつけたり、キッチンの壁に掛けてコーヒー豆の蒸らし時間を計ったり。樹脂製のバンドが汗でベタつくかと思いきや、そうでもない。なにより安い。

ビギナー向けに書かれたという『メンズファッションの解剖図鑑』にも、シックな着こなしをカジュアルダウンさせるアイテムとしてチープカシオが紹介されているけれど、これはなかなか上級者向けのアドバイスだと思う。流行りの「抜け感」とか「こなれ感」って、トータルのバランス(サイズ、シルエット、色合い等)が完璧だからこそ目指せる領域だよなぁ。

個人的には、靴、鞄との雰囲気を揃えておけばいいんじゃないかなと思う。写真の時計なら、足元はスニーカー、背中にリュック。帆布トートでも可。色味も合わせれば、まず間違えない。とはいえ、主張の強い色(特に赤)を持ってくる場合、3アイテムは合わせすぎかもしれないな。ほら、メイプル超合金カズレーザーって、ほんとに赤いもん。すごく赤い。


10.
天気の良い休日の朝に、コーヒーと読みかけのおもしろい本。ベランダでは洗濯物が風に揺れている。ぶら下がった玉ねぎ。生活。
四人がけのダイニングテーブルを一人で使う贅沢と寂しさ。月に四回ジムへ行きプールで泳ぐ。


11.
スタジオジブリレイアウト展で購入したカオナシハンカチの使いみちに困っている。握りこぶしにくまのぬいぐるみ、ペットボトルを次々覆い、どれがいちばんカオナシに見えるかをひとしきり研究したあとで、使いみちを見失った。

なんてったって黒い。ハンカチの中央にカオナシの顔的な部分がプリントされているほかは、端に湯屋の油マークのみで、あとは途方もなく黒い。

他の展覧会と違うのは、作品を眺めながら、彼らがごく私的な思い出話をしていることだ。

「この世は生きるに値する」


12.
ゴールデンウィーク最終日。両親が旅行に出かけていたから、犬の面倒を見に実家へ行く。散歩とエサの用意はもちろんだけど、いちばんは夜一緒に寝てやるため。

お昼寝もお留守番も問題ないのに、夜になると、ひとり(一匹?)で眠ることができない。たぶん暗闇が怖いのだろう。普段一緒に寝ている父親がいないので、昨日は私の左脇腹に彼自身の右脇腹をくっつけて寝ていた。


13.
かつて私も3の隣の5号室で暮らしたことがある。正確には、203号室の隣の205号室。204号室がないのは、四の音韻が死に通じるからだとすぐに分かったけれど、四日生まれの私にとって、そのたぐいの呪いは効かない。

第一話の「変な間取り」を数行読んでから、その「変な間取り」の間取り図を探す。台所に和室が二つ、よくしつ

ひねくれた考え方をするなら、新しい生は新しい死でもあるわけだから、死に通じる4日生まれの私の生は理にかなっているはずだ。


14.
フライパンが鈍器だったころ

今週のお題「2018年の抱負」

書くことについて書くこと

書くことについて書こうとすると、どうしても感傷的になってしまう。
私は忘れてしまうことを恐れている。

記憶こそがわれわれの生を作っていることに気づくには、ごくわずかでも記憶を失いはじめる必要がある。記憶のない生は、まったく生とはいえない。それは、表現の可能性を持たない知性が真に知性とはいえないのと同じだ。記憶は、われわれの一貫性を保つものであり、理性であり、感情であり、さらには行動でさえある。記憶がなければ、われわれは何者でもない。
ルイス・ブニュエル『わが最後のため息』より

忘れてしまうことで、何もかもなくなってしまうことを恐れている。私は確かにいたし、見ていた、取るに足らない私にも名前があった、それを肯定するために書く。書くことで、私は私を見ている。

目を開けて、その目が永遠に閉じてしまう前に、できるかぎりのものを見ておくんだ。
アンソニー・ドーア『すべての見えない光』より

そういうふうに、自分自身をなんとか肯定することで、私と似たような人たちのことも肯定できないかと思う。何か、特別で素敵なことが起こらないかと、地味に、真面目に、ものぐさに、毎日を過ごしている人。

顔も名前も知らない、きっとこの先会うこともない、私と似たような人たちのことを思う。自分が何者でもない空白だと寂しく思わないように。

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)

この際だから予言しておくが、ドーアの『すべての見えない光』は映画化される。予言なんて言ったもん勝ちなんだから、誰だって予言者になれる。

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」