部屋と沈黙

本と生活の記録

〈私たち〉のなかの〈私〉たち

文庫化された『英子の森』を読みながら、松田青子は新ジャンルだなぁと思う。収録作の「*写真はイメージです」や「おにいさんがこわい」は特に、言葉を使ったアートのようだ。

たとえばリディア・デイヴィスの『ほとんど記憶のない女』とか、このあいだ松田青子自身が訳したアメリア・グレイの『AM/PM』とか、ラーメンズの『TEXT』とか。

とても小さな、時間にすれば一瞬の、ずれや、すきまや、きらきらを、ぱっと掴んで見せてくれる。既刊の『スタッキング可能』も好きなんだけど、アマゾンのレビューはまるで賛否両論なのよね。

英子の森 (河出文庫)

英子の森 (河出文庫)

スタッキング可能

スタッキング可能

数年ぶりに、本棚から四六判の『スタッキング可能』を取り出す。装画を眺め、読んだ当時と同じように「スタッキングできてねぇじゃん」と思う。すなわち、スタッキング可能性のなかの不可能性を、うんぬん。

今、読み返してもおもしろい。当時の日記に何か書き残していないか探していたら、同じ時期に『桐島、部活やめるってよ』を観てヘコんでいるのを見つけた。28歳。

9月18日(水)晴れ
桐島、部活やめるってよ』を観てウツだ。映画は本当におもしろかった。DVD買おうかなと思うくらい。アマゾンの欲しいものリストに入れるくらい。でも、自分の高校時代を思い返すと何もなさすぎて死にそうな気持ちになる。私はきっと物語の外にいるだろう。主役になれず、脇役にもなれず、彼らの背景となってピントがずれていくだけ。

『スタッキング可能』には、主役でも脇役でもない、たくさんの〈私〉たちが描かれている。秀逸な群衆小説だ。

もしかしたら、この物語に否を突きつけられる人こそ、交換不可能な主役としての自分自身を生きているのかもしれないな。それは、本当に羨ましい。

桐島、部活やめるってよ (本編BD+特典DVD 2枚組) [Blu-ray]

桐島、部活やめるってよ (本編BD+特典DVD 2枚組) [Blu-ray]

『キングスマン:ゴールデン・サークル』を見たよ!

信号待ちで、前に停まったマツダ車のエンブレムを眺めながら「横棒を一本入れたらキングスマンだよースパイの車だよー」と思う。

仕事帰りに『キングスマン:ゴールデン・サークル』を観てきた。相変わらず悪趣味である。グロテスクなシーンはB級ブラック・コメディやギャグ漫画のように茶化されているものの、今作では本能的な禁忌に触れる表現があるから、苦手な人は本当に厭な思いをするかもしれない。
ともあれ、ジョークでありながら本気のアクションシークエンスで魅せる、新世代のスパイを描いた新時代のスパイ映画だ。ジャングルへ侵入するときもスーツで正装するちぐはぐさがキングスマンらしい。
ただ、前作が好きだからこそ、色々言いたくなることもある。

以下、ネタバレありの感想を記す。


パンフレットより

・ 新世代のスパイ
今作で何より驚いたのは、行きずりのお相手だと思われた前作のスウェーデン王女ときちんとお付き合いしていることだ。前作でJBを殺さなかったこと(そもそもJBと名付けたこと)も、今どきの、等身大の若者であるエグジータロン・エガートンの良さを表していると思う。堅物とプレイボーイしかいないスパイのイメージを覆す、良い意味で“普通っぽい”新世代のスパイだ。

・ 共感できるかできないか
共感できる悪役こそ良い悪役だと思う。
前作のヴァレンタインサミュエル・L・ジャクソンは環境問題に熱心で、ちょっと人間増えすぎだよね!(わかる)よし、殺そう!(えっ)みたいな、共感できる部分もあるのに、やり方が過剰でどこかズレているから悪役になってしまった。そのくせ血が苦手なところなんか可愛いし、そんなヴァレンタインを庇い慕う強くて美しいガゼルソフィア・ブテラもいい。
対して今作のポピージュリアン・ムーアの主張はほとんど私利私欲のためだ。母国に帰り、名声を得たい(ふーん)。
ジュリアン・ムーアの喋り方や表情が得体の知れない少女のようで良かっただけに、共感できない悪役として、サイコパスとして、徹底的に描いてほしかったなぁ。漫然と嘘をつき、他人の感情をコントロールしながら、裏切りの有無に関係なく不必要になれば殺す。人々が天才に惹きつけられるように、極端な精神病質者もまた強烈に人を惹きつけるのだから。

・ 泣き上戸
マーリンマーク・ストロングは呑むと泣くタイプ。

・ ハリー・ハート、スーパー・スパイ
自分自身を「スーパー・スパイ」と鼓舞するハリーコリン・ファースが可愛すぎ。

エルトン・ジョンはお友達
だそうです。

・善悪を分かつもの
今作はドラッグの是非というより、何を善しとし、何を悪しきとするかについて考えさせられたな。
たとえば「ドラッグをやらないから良い人間」と言い切れないことは、作中のアメリカ大統領の発言からも分かる。そして、ウィスキーペドロ・パスカルのように麻薬中毒者と人殺しを簡単にイコールで結んでしまうのも危険だ。
たとえば国、あるいは男女。何かを大きく捉え、そのすべてを安易に否定してしまうと、取り返しのつかない間違いを犯してしまうかもしれない。

・ 犬は生きている
JBを殺さない選択をしたエグジーがスパイとして活躍するからこそ魅力的なのに、今作の犬の扱い方はどうなんだ。ただ、慰めのため、ショックを与えるための道具になっている。ハリーの記憶を蘇らせたヨークシャー・テリアの仔犬は、あのあとどこへ行ってしまったのか。事件解決後、ハリーの足元に控えているシーンなんかがあれば、ものすごく和んだと思うんだけどな〜。

あ、あとJBは死なない。だってジャック・バウアーだぜ?

新しい年、新しい一日

昨年夏に祖父が亡くなり、今年の年明けは静かに過ぎていく。

7月17日(月)晴れ
じいちゃんのお見舞いへ行ってきた。もうほとんどの時間を眠って過ごしているという。話しかけるとまぶたが開いて、薄青色の目が見える。その目尻が少し濡れたような気がした。
母さんと喪服や相続のことについて話す。一人になると涙が出た。それがたとえ寿命でも、死の喪失感には慣れない。死の予感が私の心をざっくり持っていく。容赦なく、心のなかの何かを奪っていく。心のなかの何かが、大きく死ぬような気がする。これからどれだけの死を受け入れなければならないのか。そう思うとぞっとする。
病室前のネームプレートに赤、黄、青の小さな丸シールが貼られていて、じいちゃんは赤だった。

7月22日(土)晴れ
葬儀。死ぬのは大仕事だな、と思う。私もその大仕事をいつか必ずしなければならない。今読んでるオースターの『孤独の発明』に「生は死の所有物」みたいな内容の文章がある。所有者なのは死のほう。生はきらめき。だいたい、死んでる時間のほうが長くなるんだから、生きてるうちにやってみたいことはやってみようと思う。

園芸店の新春セールでオリーブの苗木と、多肉植物のウ……、〈ウンブラティコラ〉を買う。これ、覚えらんないなぁ。軟葉系ハオルチアの一種で、透明感のある葉が特徴。硬葉系ハオルチアの〈十二の巻〉に水をやると、ロゼットを広げて分かりやすく元気にしているから、〈ウンブラティコラ〉も同じく水が好きだろうと思う。

心のなかで〈乙女ちっくおじさん〉と呼び親しんでいる穂村弘の『きっとあの人は眠っているんだよ』を読む。週刊誌に連載された読書日記をまとめたもので、いくつか読み覚えがある。きっとコンビニで週刊文春を立ち読みしたときに読んだんだろう。「気持ち良い、気持ち悪さ」を体現する稀有なおじさんだ。私も乙女の端くれだから、穂村弘の乙女ちっくな部分にびりびり共振してしまう。市川春子!いいよね、分かる〜、みたいな。
気になるタイトルを抜き書きして、読みたい本のリストを長くする。