部屋と沈黙

本と生活の記録

キッチンバサミのポテンシャル

切れ目の入っていないピザを包丁で切り分けるのが面倒で、試しにキッチンバサミを使ってみたら、思いのほか上手くいった。

キッチンバサミのポテンシャルは高い。

そう気がついたのは、料理上手の友人がキッチンバサミで小葱を切り、そのまま汁椀のなかへ落としているのを目撃したときのこと。以来、キッチンバサミの虜である。ハサミなんだから〈葱が切れること〉くらい分かるはずなのに、〈葱を切ってもいいこと〉には長いあいだ気がつかなかった。

今ではお肉も切るし、野菜も切る。切りながら、そのまま鍋のなかへ入れてしまう。

日常学事始

日常学事始

荻原魚雷の『日常学事始』には、几帳面な怠け者のための家事の心得が書かれている。毎日いれるお茶のこと、洗濯ネットのこと、作るのをやめた料理のこと。
山川直人のカバーイラストもいい。この人の描く生活の風景が好きだ。

ちなみにその友人には、魚焼きグリルで食パンをトーストしたっていいことも教わった。私は本当に、本当に長いあいだ、グリルの横の魚マークに惑わされていたのだ。

〈私たち〉のなかの〈私〉たち

文庫化された『英子の森』を読みながら、松田青子は新ジャンルだなぁと思う。収録作の「*写真はイメージです」や「おにいさんがこわい」は特に、言葉を使ったアートのようだ。

たとえばリディア・デイヴィスの『ほとんど記憶のない女』とか、このあいだ松田青子自身が訳したアメリア・グレイの『AM/PM』とか、ラーメンズの『TEXT』とか。

とても小さな、時間にすれば一瞬の、ずれや、すきまや、きらきらを、ぱっと掴んで見せてくれる。既刊の『スタッキング可能』も好きなんだけど、アマゾンのレビューはまるで賛否両論なのよね。

英子の森 (河出文庫)

英子の森 (河出文庫)

スタッキング可能

スタッキング可能

数年ぶりに、本棚から四六判の『スタッキング可能』を取り出す。装画を眺め、読んだ当時と同じように「スタッキングできてねぇじゃん」と思う。すなわち、スタッキング可能性のなかの不可能性を、うんぬん。

今、読み返してもおもしろい。当時の日記に何か書き残していないか探していたら、同じ時期に『桐島、部活やめるってよ』を観てヘコんでいるのを見つけた。28歳。

9月18日(水)晴れ
桐島、部活やめるってよ』を観てウツだ。映画は本当におもしろかった。DVD買おうかなと思うくらい。アマゾンの欲しいものリストに入れるくらい。でも、自分の高校時代を思い返すと何もなさすぎて死にそうな気持ちになる。私はきっと物語の外にいるだろう。主役になれず、脇役にもなれず、彼らの背景となってピントがずれていくだけ。

『スタッキング可能』には、主役でも脇役でもない、たくさんの〈私〉たちが描かれている。秀逸な群衆小説だ。

もしかしたら、この物語に否を突きつけられる人こそ、交換不可能な主役としての自分自身を生きているのかもしれないな。それは、本当に羨ましい。

桐島、部活やめるってよ (本編BD+特典DVD 2枚組) [Blu-ray]

桐島、部活やめるってよ (本編BD+特典DVD 2枚組) [Blu-ray]

『キングスマン:ゴールデン・サークル』を見たよ!

信号待ちで、前に停まったマツダ車のエンブレムを眺めながら「横棒を一本入れたらキングスマンだよースパイの車だよー」と思う。

仕事帰りに『キングスマン:ゴールデン・サークル』を観てきた。相変わらず悪趣味である。グロテスクなシーンはB級ブラック・コメディやギャグ漫画のように茶化されているものの、今作では本能的な禁忌に触れる表現があるから、苦手な人は本当に厭な思いをするかもしれない。
ともあれ、ジョークでありながら本気のアクションシークエンスで魅せる、新世代のスパイを描いた新時代のスパイ映画だ。ジャングルへ侵入するときもスーツで正装するちぐはぐさがキングスマンらしい。
ただ、前作が好きだからこそ、色々言いたくなることもある。

以下、ネタバレありの感想を記す。


パンフレットより

・ 新世代のスパイ
今作で何より驚いたのは、行きずりのお相手だと思われた前作のスウェーデン王女ときちんとお付き合いしていることだ。前作でJBを殺さなかったこと(そもそもJBと名付けたこと)も、今どきの、等身大の若者であるエグジータロン・エガートンの良さを表していると思う。堅物とプレイボーイしかいないスパイのイメージを覆す、良い意味で“普通っぽい”新世代のスパイだ。

・ 共感できるかできないか
共感できる悪役こそ良い悪役だと思う。
前作のヴァレンタインサミュエル・L・ジャクソンは環境問題に熱心で、ちょっと人間増えすぎだよね!(わかる)よし、殺そう!(えっ)みたいな、共感できる部分もあるのに、やり方が過剰でどこかズレているから悪役になってしまった。そのくせ血が苦手なところなんか可愛いし、そんなヴァレンタインを庇い慕う強くて美しいガゼルソフィア・ブテラもいい。
対して今作のポピージュリアン・ムーアの主張はほとんど私利私欲のためだ。母国に帰り、名声を得たい(ふーん)。
ジュリアン・ムーアの喋り方や表情が得体の知れない少女のようで良かっただけに、共感できない悪役として、サイコパスとして、徹底的に描いてほしかったなぁ。漫然と嘘をつき、他人の感情をコントロールしながら、裏切りの有無に関係なく不必要になれば殺す。人々が天才に惹きつけられるように、極端な精神病質者もまた強烈に人を惹きつけるのだから。

・ 泣き上戸
マーリンマーク・ストロングは呑むと泣くタイプ。

・ ハリー・ハート、スーパー・スパイ
自分自身を「スーパー・スパイ」と鼓舞するハリーコリン・ファースが可愛すぎ。

エルトン・ジョンはお友達
だそうです。

・善悪を分かつもの
今作はドラッグの是非というより、何を善しとし、何を悪しきとするかについて考えさせられたな。
たとえば「ドラッグをやらないから良い人間」と言い切れないことは、作中のアメリカ大統領の発言からも分かる。そして、ウィスキーペドロ・パスカルのように麻薬中毒者と人殺しを簡単にイコールで結んでしまうのも危険だ。
たとえば国、あるいは男女。何かを大きく捉え、そのすべてを安易に否定してしまうと、取り返しのつかない間違いを犯してしまうかもしれない。

・ 犬は生きている
JBを殺さない選択をしたエグジーがスパイとして活躍するからこそ魅力的なのに、今作の犬の扱い方はどうなんだ。ただ、慰めのため、ショックを与えるための道具になっている。ハリーの記憶を蘇らせたヨークシャー・テリアの仔犬は、あのあとどこへ行ってしまったのか。事件解決後、ハリーの足元に控えているシーンなんかがあれば、ものすごく和んだと思うんだけどな〜。

あ、あとJBは死なない。だってジャック・バウアーだぜ?