部屋と沈黙

本と生活の記録

小鬼と新しい商売

武井武雄の描く童画には毒っ気がある。子どもの心に棲む可愛い小鬼が悪戯っ子の目で笑う、そんな雰囲気がある。

このあいだは武井武雄展を観に周南市美術博物館へ行ってきた。子どものために描かれた童画のほか、版画や玩具“イルフトイス”も展示されている。「本の宝石」とも呼ばれる刊本作品には、ゴブラン織りや寄せ木、螺鈿で細工されたものもあり、それらが詩や物語とともに「本」として綴じられていることにときめく。全139冊のうち、展示されていたのは30冊。そのなかのひとつに、“月と星しか知らず、それを昼だと思っていた子どもは、まだ半分植物だった”という内容の一節があった(うろ覚え)。あとに、どんな美しい物語が続くのだろう。

2月から運行が始まった100円バスに乗り、オープンしたての周南市立駅前図書館へ。図書館に書店とカフェを併設した、いわゆる「TSUTAYA図書館」だ。1階から3階まで続く大きな壁面書架には見栄えの良い美術書や写真集が集められ、図書館はいつのまにか書店に、書架はいつのまにか商品棚になっていく。

これはもう、図書館を利用した新しい商売だな。無料で利用できる「図書館」は撒き餌みたいなもん。「図書館に書店とカフェを併設した」んじゃなくて、「書店にカフェと図書館を併設した」んだ。食器の触れ合う音。匂い。ざわめき。静けさからは程遠く、いまだかつてないほど落ち着かない。でもまぁ「図書館」だと思わなければアリなのかなぁ。私もつい一冊買っちゃったし……。

キッチンバサミのポテンシャル

切れ目の入っていないピザを包丁で切り分けるのが面倒で、試しにキッチンバサミを使ってみたら、思いのほか上手くいった。

キッチンバサミのポテンシャルは高い。

そう気がついたのは、料理上手の友人がキッチンバサミで小葱を切り、そのまま汁椀のなかへ落としているのを目撃したときのこと。以来、キッチンバサミの虜である。ハサミなんだから〈葱が切れること〉くらい分かるはずなのに、〈葱を切ってもいいこと〉には長いあいだ気がつかなかった。

今ではお肉も切るし、野菜も切る。切りながら、そのまま鍋のなかへ入れてしまう。

日常学事始

日常学事始

荻原魚雷の『日常学事始』には、几帳面な怠け者のための家事の心得が書かれている。毎日いれるお茶のこと、洗濯ネットのこと、作るのをやめた料理のこと。
山川直人のカバーイラストもいい。この人の描く生活の風景が好きだ。

ちなみにその友人には、魚焼きグリルで食パンをトーストしたっていいことも教わった。私は本当に、本当に長いあいだ、グリルの横の魚マークに惑わされていたのだ。

〈私たち〉のなかの〈私〉たち

文庫化された『英子の森』を読みながら、松田青子は新ジャンルだなぁと思う。収録作の「*写真はイメージです」や「おにいさんがこわい」は特に、言葉を使ったアートのようだ。

たとえばリディア・デイヴィスの『ほとんど記憶のない女』とか、このあいだ松田青子自身が訳したアメリア・グレイの『AM/PM』とか、ラーメンズの『TEXT』とか。

とても小さな、時間にすれば一瞬の、ずれや、すきまや、きらきらを、ぱっと掴んで見せてくれる。既刊の『スタッキング可能』も好きなんだけど、アマゾンのレビューはまるで賛否両論なのよね。

英子の森 (河出文庫)

英子の森 (河出文庫)

スタッキング可能

スタッキング可能

数年ぶりに、本棚から四六判の『スタッキング可能』を取り出す。装画を眺め、読んだ当時と同じように「スタッキングできてねぇじゃん」と思う。すなわち、スタッキング可能性のなかの不可能性を、うんぬん。

今、読み返してもおもしろい。当時の日記に何か書き残していないか探していたら、同じ時期に『桐島、部活やめるってよ』を観てヘコんでいるのを見つけた。28歳。

9月18日(水)晴れ
桐島、部活やめるってよ』を観てウツだ。映画は本当におもしろかった。DVD買おうかなと思うくらい。アマゾンの欲しいものリストに入れるくらい。でも、自分の高校時代を思い返すと何もなさすぎて死にそうな気持ちになる。私はきっと物語の外にいるだろう。主役になれず、脇役にもなれず、彼らの背景となってピントがずれていくだけ。

『スタッキング可能』には、主役でも脇役でもない、たくさんの〈私〉たちが描かれている。秀逸な群衆小説だ。

もしかしたら、この物語に否を突きつけられる人こそ、交換不可能な主役としての自分自身を生きているのかもしれないな。それは、本当に羨ましい。

桐島、部活やめるってよ (本編BD+特典DVD 2枚組) [Blu-ray]

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