部屋と沈黙

本と生活の記録

ZAZEN BOYSツアー MATSURI SESSION & アルバム『らんど』感想

12月の最初の土曜日と2月の最初の日曜日に、ZAZEN BOYSのライブへ行ってきた。広島と福岡。そのあいだの1月24日に、ZAZEN BOYS12年ぶりのフルアルバム『らんど』が発売された。


2023.12.2 Sat.

LIVE VANQUIS

ZAZEN BOYSをライブハウスで観るのは実に4年ぶりである。広島では、なんか良いことあったんかな、と思うくらい向井秀徳がご機嫌だったのと、ミックスかマスタリングの最中で、ボーカルを全部ボーカロイドにする、と言っていたような気がする。

新曲も多めにやって、それを「夕暮れの感じと、ビート」とツイートしたけれど、いざ『らんど』が届き、通して聴いてみると、夕暮れの感じはわりと薄れた。全然ギラギラしている。これはベースとドラムのアルバム、特にベースの、MIYAのアルバムだと思ったし、切ったら血が出る、と思った。

この「切ったら血が出る」感じが私には衝撃だった。これまでのZAZEN BOYSに抱いていた印象とは全く違う。そういえば4年前にライブへ行ったときも似たようなことを書いていた。当時は片鱗くらいで確信はなかったんだけど、今回の『らんど』で完全に提示された。

地鳴りのようなドラムとベース。ひりつくほど生身の、剥き出しの音楽。

4年前の私はそういうふうに受け取って、書いた。

私はZAZEN BOYSのことを、川端康成の『帽子事件』みたいなバンドだと思っていたのよね。不忍池に現れた正体不明の男、そこでのやり取り、張り詰める空気、それを翻す男は河童か天狗か。そういう、超かっこいい掌編に似ていると思っていた*1

完璧な舞台装置と言葉で、物語の空気をコントロールしている。冷静で、ストイックな視線。そこから生み出されるお話は夢と現のあわいにあり、どこか俯瞰的だ。そういう感じ、そういう音楽だと思っていた。

今はもうね、違う。切ったら血が出る。そうとしか言えん。

空気というより、場がふるえる。音が空気をふるわせ、身体が場をふるわせる。場をふるわせられるのは身体だけだ。その身体には血が流れている。近づく。肉薄する。音に血が流れはじめる。

向井秀徳がこの12年でどういう紆余曲折を経たのかは知らない。「切ったら血が出る」感じに私が激しく揺さぶられるのは、コロナ禍と侵攻の影響だろう。生身であるとか、身体的であるとか、生きていれば皆、どんな人間でも皆、血が流れると突きつけられた。身体に代えられるものなど何もない。音楽も言葉も、よりどころは身体だ。

これが私にとっての『らんど』である。う〜ん、だいぶ抽象的だな。自分でも、うまく説明できていないと思う。

なお、歌詞カードはほとんど見ないので、歌の言葉はまだ頭に入ってきていない*2。それでも「夜明けに見た夢なのか」や「目を瞑って見る」は耳に残った。……と、引用するために歌詞カードを確認したところ、正確には「目を瞑ってみる」なのか。してみる、やってみるの「みる」。「見る」かと思ってたよ。目を瞑ったまま見るなんて超かっこいい、詩だな、と思っていた。うーん、、まぁいいか、私はこれからも「見る」で聴く。「正しい聴き方」なんてないのよ。私の聴き方、あなたの聴き方があるだけ。

あと、かつての「ディス、コミュニケーション状態」が今や本気の「ディスッ、カウンテッド・ビアァァァ!!!」だから笑うよね。好き。デレレレ〜!デレレレ〜!デレレレレレレレ!

自分でも不思議なんだけど、ZAZEN BOYSのライブでは演奏がおもしろくて笑っちゃうことがある。言葉じゃなくて、音で笑う感じ。ほかのバンドだと「おお〜!かっこいい!ぐうぅ……」なのが、ZAZEN BOYSだと「おわ〜!かっこいい!あっはっは!」みたいな。これはZAZEN BOYS特有だと思う。もちろんZAZEN BOYSにも「おお〜!かっこいい!ぐうぅ……」があるので、なんかもう、すごいと思います(急に失われる語彙)。


2024.2.4 Sun.

福岡DRUM LOGOS

福岡では「Matsuri Studioからやって来たZAZEN BOYSは、Matsuri Studioからやって来たZAZEN BOYS」と、禅問答みたいなことを言っていた。向井秀徳はやはりご機嫌で、楽しそう。

今作『らんど』に限らず、向井秀徳のワンフレーズは強烈だ。たとえば「杉並の少年」はダッ!ダダダダッ!ダダダダッ!だけでもうかっこいい。そこに、遊びのあるドラムとベースが乗る。健康のためにぶんぶん回しても壊れない、ギラッギラの“DANBIRA”のようなフレーズだ。

個人的には、ラヴェルボレロを思い出す。かっこいいんだよ。あれ、ほぼ同じフレーズで16分くらいあるのに、全然飽きないの。しかも、リズムに対するメロディの乗り方が不思議だし、西洋音楽なのに、どこかエキゾチックに響く。

それでいくと『らんど』のなかでいちばん歌メロがきれいな「ブルーサンダー」では、ジャキジャキのリズムの上に、日本的な、とても美しい旋律が乗る。でも「ブルーサンダー」が「日本風」かというと、そうでもないんだよ。それがほんと不思議なんだよな〜。不思議で、おもしろい。そしてかっこいい!

『らんど』の発売に先行してMVが公開された「永遠少女」は、歌の言葉が頭に入りにくい私でも一瞬で刺さるくらいには強い。おそらく、歌メロをなぞるようにギターが鳴っているのも理由のひとつだろう。

たとえ、この世界が嘘や間違いだらけであったとしても、私は、この世界に「本当」があると信じたい。私はその「本当」が見たい。だから書く。私はこの曲が、嘘や間違いを歌っている歌だとは思わない。もし、嘘や間違いだけを歌うのなら、あんなに「探せ」とは言わない。探す必要がないほど溢れているんだから。探さなければ見つからないものはなんなのか、っちゅう話だよ。

あと、ドラムロゴスは音が良い気がする。キャパシティとか建物の構造、私の立ち位置でも変わるだろうから、安易に比べるのも申し訳ないな〜と思うんだけど、4年前も今回も、特にドラムが良く鳴るし、空間全体が鳴っている感じがした。天井が高いからかな?

ただ、ミラーボールはない。向井秀徳も、ミラーボールがないから各々想像で回すように、と言っていた。それから、今の「CRAZY DAYS CRAZY FEELING」のライブアレンジがかっこいいんだよね。とくにベース。音源がほしい……!

*1:新潮文庫『掌の小説』収録。すごく短いから、みんなに読んでほしい。

*2:ZAZEN BOYSだけでなく、どのバンドでもそう。音を認識する能力と、言葉の意味を認識する能力を、同時に立ち上げられないため。音楽を聴くときは音を聴きたいから、言葉は後回しになってしまう。作詞する人には申し訳ない。

COME BACK TO BREIMEN JAPAN TOUR 2023 感想

10月最後の土曜日に、BREIMENのライブへ行ってきた。久しぶりの都会(広島)が嬉しくて、ぎりぎりまでお買いものをしていたため、開場時間をすこし過ぎて到着。幸い、まだ入場は始まっていない。整理番号を尋ねてまわり、列に入れてもらった。年齢層は思ったより幅広く、男女半々くらい、といったところ。


COME BACK TO BREIMEN JAPAN TOUR 2023
2023.10.28 sat.
Live space Reed

一言で表すと、なんかもうすごかった。BREIMENのライブを観るのはITa FES以来2度目なんだけど、ワンマンは迫力が違った。彼らはまさに“ライブバンド”なんだと思う。

私が思う“ライブバンド”とは「ヘタしたらふつうのアルバムよりもライブアルバムのほうが人気が出ちゃいそうなバンド」である。NUMBER GIRLとかZAZEN BOYSも、ライブ音源が凄まじく良い。

ジャズのアルバムなんかもそう。アマプラでアルバム1枚を通しで聴けたときは、E.S.Tの“Live in Hamburg”をずっっっと聴いていた*1

全員でその場を鳴らす、パフォーマンスそのものがおもしろい。「曲をやる」というより「ライブをやる」みたいな。BREIMENのライブ感の根元には、柔軟なセッションがあるような気がする。

その柔軟なセッションのうえに、強く響くグッドメロディがのる。柔らかいものと、強固なもの。すごくハイブリッドなバンドだ。なかなかないと思う。ていうか演奏も上手いし、ピアノとサックスが入るのも良い。本当にびっくりした。次のライブも絶対に行きたい。

フロアの前方に「広島」から「初めて来た人」がたくさんいて、なんだか嬉しかったな。山口から来ている人もちらほらいた。私はフロアの中央あたりにいたから、後方がどうだったかは分からない。これは「いなかの民あるある」だと思うんだけど、地元に好きなアーティストが来ると、ほんとに嬉しいよね。私も山口にペトロールズが来たときは、すごく嬉しかった。とくに山口は、広島と福岡の中継地だから。。

そういえば「LAから来た人」も5人いたみたい。


ジャパンツアー中の5人

ワンマンだからか、かなりリラックスしたMCで、思わず笑ってしまった。両サイド(ギターとピアノ)がわちゃわちゃして、ボーカルが真ん中で楽しそうに笑っているのもなんか良かったな。あとギターのサトウカツシロが「終電、大丈夫そ?」と言うのを聞いて、この人モテそ〜!と思った。

*1:今はもう聴けない。。強制シャッフル再生。unlimitedに課金するくらいなら、私は盤がほしい。最近はYoutubeで過去のライブ映像を観ている。Tシャツ、パンツ、スニーカーでグランドピアノを弾く姿がめちゃくちゃかっこいい。

美麗島 Underground 感想

久しぶりに音楽ライブへ行く。山口情報芸術センターで開催された“美麗島 Underground”、出演は台湾のインディーズバンド落差草原WWWW(ぷれいりー)、Mong Tong(もんとん)、百合花(りりうむ)の3組。

とりあえずYouTubeで1曲ずつ聴き、チケットを買った。ほとんど何も知らない、聴いたことがない、異国語で歌われるうたの言語的解釈もままならないまま参加し、何が起こるのか興味があった。


美麗島 Underground”
2023.8.5 Sat.
山口情報芸術センターYCAM

とくに良かったのがMong Tong。YouTubeで公開されている音源以上に、ライブがめちゃくちゃかっこいい。初めて『AKIRA』を観たときの衝撃に似た高揚感。上下白、上下黒のゆったりとした衣服に身を包んだ2人が、しばらくセッションしたあと、おもむろに黒い帯で目元を覆う。

目隠ししながら演奏するなんて、あまりにも漫画的だ(あるいはサーカス?)。ひとつ間違えば大袈裟なパフォーマンスとして受け取られそうなのに、彼らの佇まいにはわざとらしさが微塵も感じられなかった。

たとえばマルケスの『百年の孤独』を読んだときも、同じような印象を受けた。作中、死んだ子どもの流した血が町を横断して実家へ戻ってくる、というような描写がある。こんなの、荒唐無稽じゃん。物理法則に反している。でも読んでいると、それすら“まじで”起こったことかもしれない、と思わされるのだ。フィクションなのに、嘘だとは思えない。

彼らの音楽にとって必然だと思える。視界を制限することが、異界を招き入れるための装置として機能しているのだ。

AKIRA』に登場する教祖ミヤコや、『風の谷のナウシカ』のマニ族の僧正は“目が見えない”。彼らは暗闇のなかで異界と対峙し、超常の力を操る。

ギリシャ神話ではエレボス(幽冥)とニュクス(夜)からヘーメラー(昼)が生まれるし、キリスト教では暗闇あっての「光あれ」でしょ。多神教であれ一神教であれ、光の前にまず闇がある。そして、幽冥と夜の祖は混沌(カオス)だ。

「暗闇は異界に通ずる」感覚が、今も昔も変わらず、物語や言語をも超えて、ほとんどの人に備わっている。だからこそ共鳴するのかもしれない。

Mong Tongにはマジックリアリズム的な魅力がある。彼らは音楽とパフォーマンスによって場を動かし、異界を招き入れている。