部屋と沈黙

本と生活の記録

ごく素直に

フルカワユタカの『オンガクミンゾク』、第8回のゲストは、忘れらんねえよの柴田隆浩。

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口語系(?)のバンド名といえば、やっぱり「水中、それは苦しい」を思い出す。二十歳前後だったか、音楽雑誌でこの字面を見かけて、あまりのセンスに圧倒されたもん。見た瞬間に「負けた」と思った。生きた人間が100人いたら、100人が「ですよね」と言う。共感率100%、それを言葉で名指しするってすごいよ。しかも名前なのに「、」が入ってるし。ほとんど詩だと思う。むき出しの共感と定型への裏切りが、ひとつの言葉に同居している。

その後、ちゃんと聴いたのは手品の歌*1くらいだったけれど、このバンド名だけはずっと覚えている。……いや「水中、それは苦しい」ことを、今もなお「忘れらんねえよ」!


この高鳴りをなんと呼ぶ / 忘れらんねえよ

プロの悪口師を自称しながら、まっすぐな歌が多いのが印象的だった。「今日のセットリストがそうだっただけ」というようなことを言ったかと思えば、MCでは「譲れない正義がある」と言い、めちゃくちゃ安易に共感してしまう。

私にもおそらく似たようなところがある。「正しいかどうかは分からんけど、私はそれを間違っているとは思わない」。10年以上前の日記にも、たしかにそう書いていた。“それ”は言語化してリストアップできるような代物じゃなく、ほとんど条件反射のようなものだった。避けられない。譲ってしまえば楽なのに、どうしてもできない。ともすれば“それ”は欠陥なのかもしれなかった。

正しいのか、間違いなのか、分からないのか、分かっているのか。矛盾を抱えたまま大きくなれば、ひねくれるのは当然で、たとえば前向きなことばかり言う人が歌う前向きな歌を、素直に信じられないときがある。「絆」と言われれば耳が腐る*2。にもかかわらずこの歌は、まっすぐな歌詞が、そのまままっすぐ入ってきて不思議だった。良い曲だと思う。

あと、フルカワユタカも良かった。……なんか飽和してくると褒め言葉すら雑になっていくな。オタクが語彙を失うメカニズムって、こんな感じなのかもしれない。

それにしても、たなしんの圧倒的“弟”感はなんなんだろう。私よりひとつ年上なのに、つい可愛いと思っちゃう。いいなぁ、私もつい可愛いと思われたい。このコロナ禍によって私のなかの何かがぶち壊れたおかげで、今ではごく素直にひねくれている。あと足りないのは「可愛げ」と「やばさ」だ。

*1:“農業、校長、そして手品”。メンバー編成はアコギ、ドラム、そしてヴァイオリン。

*2:禁断の宮殿 / the band apart

『暴君フルカワくん』

「フルカワくん、骨格変わったよね?」

チバ先輩から声を掛けるなんてめずらしい。なにしろ暴君フルカワくんは暴君である。一触即発、先輩とはいえ、気に入らなければ予鈴が鳴り止むのも構わず説教し続けるだろう。加えて暴君フルカワくんは2頭身なので、骨格云々はとりわけセンシティブな問題であった。管理棟と旧校舎を繋ぐ午後の渡り廊下が静まり返る。

「はい!骨格変わりました!」

周囲の心配をよそに、とても嬉しそうな暴君フルカワくん。なんとチバ先輩から自動販売機のパック牛乳までご馳走になっている。その様子を眺めていた須藤くんは、なんだかおもしろくない。

「え〜?ほんとに変わってる?」
「変わってんだよっ!朝は……まぁ1.8頭身くらいだけど、今は2頭身ちょいあるし、夜になったら2.7頭身くらいにはなんの!」
「ガサツな骨格だな」
「親に謝れ!」

……みたいな4コマ漫画『暴君フルカワくん』が読みたい。

誰かーっ!絵が描けちゃうメイニアのひとーっ!須藤くんとチバ先輩は少女漫画風のかっこいい感じで、暴君フルカワくんだけちまっとした2頭身の、学園パロディ漫画を描いて〜!

暴君フルカワくんは暴君でも、2頭身だからなんか可愛いのね。200mlパックの牛乳を両手に握りしめて、きっと可愛いよ。赤ちゃんみたいなもん。赤ちゃんって基本的に暴君だけど、超可愛いじゃん。そんな感じ。ついでに『暴君フルカワくん』ってタイトルなのに、いちばんの暴君は須藤くんなのよ。

見える、見えるぞ……!コミックスの巻末に収録された番外編「暴君ストーくん」で、えげつない暴君ぶり*1を発揮する須藤くんが……。

須藤寿発案の「暴君フルカワくん」の語感が良すぎて、うっかり思いついちゃったから、つい書いちゃった。やばいな〜。やばいファンになりつつある。でもさ、フルカワユタカはバンアパのやばいファンだけど(失礼)、やばさを極めたら(超失礼)バンアパと曲作れんだぜ?極めるならやっぱやばさだよな!

フルカワユタカの『オンガクミンゾク』、第7回は、髭の須藤寿とフルカワユタカが共同開催しているお誕生日イベント“SEITANSAIV”が配信された。

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ちなみに、ポチャッコの誕生日の前の日が、須藤寿とフルカワユタカの誕生日だ。ポチャッコは2/29生まれ。

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可愛い〜!

冒頭の三文小説ならぬガサツなプロット『暴君フルカワくん』、ライブを観ていない人には意味が分かんないよねぇ。MCで二人が話していたことを曲解しつつ、思いつきの勢いに任せて楽しく書いた。今、冷静になって読み返すと恥ずかしい。あまりにも恥ずかしい。自損事故だよ。誰にも煽られてないのに。いっそ全部なかったことにしようかとも考えたけれど、思い返してみれば、恥ずかしいのは今に始まったことじゃない。表現することは、自損事故を受け入れることである。

MCでは、髭の新しいライブ“WEINHAUS”ツアーも告知された。以前、グレイヘアーが素敵なバーのマスターに「アルコール度数の低いカクテルからはじめて、高いものと低いものを交互に飲むといい」と教えてもらったことがある。だから“ブラッディ・マリー、気をつけろ!”→“テキーラテキーラ!”→“WEINHAUS”の順番ならば、アルコール度数的には(あくまでもアルコール度数的には)、素敵な飲み方だと思う。実際にやると身も蓋もない感じになりそうだけど……。

そういえば、フルカワユタカの“バスストップ”に似ているらしい瑛人の“香水*2”と、石川さゆりの“天城越え”には共通点があるという。ということは、もしかすると“バスストップ”と“天城越え”にも、なんらかの繋がりがあるのかもしれない。こう……、脳波的に?

“It’s my life”も良かった。DOPING PANDA名義で発表された当時と今と、きっと聴こえ方が違うんじゃないかな。このあいだの髭の配信ライブで“闇をひとつまみ”を聴いたときにも、同じことを思った。

「今」のために狙って作ったんじゃないものが「今」にばちっとはまるっていうのがいちばん良くて、なんていうか「意図してない」のが良いんだよ。マーケティングが悪いとは思わないし、むしろ人の行動原理とか心理っておもしろいけれど、思惑とか目論みとかなしで、ただ美しいまま「今」になるのが良い。

それってたぶん、それがその時その時の「本当」だったからだと思う。偽りのない「本当」はずっと本物だから、時代によって通用しなくなったりはしない。
2020.9.12「髭 “LiVE STRM HiGE” 感想」より

“It’s my life”を聴いていると、いつかきっと“47 Your Town”ツアーをやってくれるだろうと思えて嬉しくなった。この歌は、このツアーにぴったりだと思う。いつか明るくなるそのときが来たら、きっと私は私の町で聴く。

*1:「地図見る気分じゃないんだ!」「じゃ拍手してくださーい」

*2:以前、バンアパの配信で荒井さんと木暮さんが歌い上げた「ドールチェアーンドガッッバーナ〜!!」が耳に残っていたせいか、その後、どこかの有線で本家を聴いたときに、思いのほかしっとり歌っていて拍子抜けした。なんだか物足りない。もちろん、瑛人にとっては謂れのない物足りなさだろう。

the band apart “kirigaharetara” MV感想

木曜の晩に、バンアパの新しいMVが公開された。“AVECOBE”に続き、バンアパスタッフりきせ君*1が監督をしたらしい。今回も、木暮さんが「忌憚なき意見を」とおっしゃっていたので、ここに書いておく。YouTubeのコメント欄に書くにはおしゃべりがすぎるし……。*2


the band apart “kirigaharetara” MV

この曲は、あるグランピング施設のBGMとして原さんが作ったもの。正直なところ、音の印象やタイトルの“kirigaharetara(霧が晴れたら)”と、風車(かざぐるま)のイメージが結びつかない。私が風車でいちばん最初に連想したのは、つげ義春だった。

風車→つげ義春→ちゃんと読んだのはエッセイだけ→本棚に1冊ある→風車の描写なんてあったっけ?→「ねじ式」は書店員だったころに店頭で流し読み→ガロ系佐々木マキ佐々木マキなら漫画が本棚にある→

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というわけで、つげ義春の『貧困旅行記』と佐々木マキの『うみべのまち』を本棚から引っ張り出し、めくってみたが、風車の描写はなかった(と思う)。

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自分でも、なんでつげ義春を連想したのかはよく分からない。でもこの風景、すごく風車っぽい雰囲気じゃない?……ていうかこの写真、まさしく“つげ義春”的で良いなぁ!

なんだか前置きが長くなったけれど*3、平たく言えば、バンアパスタッフりきせ君と私とでは「風車」のしまわれている場所が違うのだ。だから、このMVについてはぴんとこない。ただ、しまわれている場所が違うっていう状態そのものはおもしろいと思う。

ちなみにこっちは施設側が作った動画らしい。施設のプロモーションだからか、映像そのものの作品性は感じない。なんだろう、ありがちというか、なんとも思わない。良いとも思わないし、悪いとも思わない。無風。

もし私がこの曲のMVを撮るとしたら、タイトルの“kirigaharetara(霧が晴れたら)”から連想して、1日のうちで“何かを待っている”わずかな時間を採集してみたい。たとえばお湯が沸くのを待っている薄暗い朝、車のなかの信号待ち、意味もなく食券をもてあそぶ午後、待ち合わせ。

生きることって、そういう、くだらないようにも思える無数の待ち時間の連続じゃん。お湯が沸いたらコーヒーを淹れる、青になったら進む、出されたうどんを食う、手を繋ぐ。“何か”がおこる、そのほんの少し前、を集めたい。“何か”と“何か”のあいまにある、取り立てて記憶されない時間。そういうバックアップされない時間のなかに、本当の“何か”があるんじゃないかと思ってしまう。そうやっていつも、霧が晴れるのを待つように生きる。原さんがインタビューで言っていた「晴れ晴れとした天気のなかで川に向かっているような気持ち」とは、ちょっと違うけどね。

ネット上の評判としては、賛否両論ってところなのかなぁ。気になるのは、ただ文句だけ言う人だよね。今回のMVに限らず、なんでも、ただ文句だけ並べる人っているじゃん。「最悪!」「ね〜!」みたいな、おもしろみのない人たち。

なにが気に入らないのか。自分ならどうするか。

私は、文句を言うなとは言っていない。むしろ文句を言え、と思う。誤解を恐れずに言うと、悪口がおもしろいのは、それが新たな創造性の入り口になり得るからだ。なにが気に入らないのか。自分ならどうするか。文句を言いながら扉を開けて、私は別の場所へ行きたい。扉の前で、その気に入らなさをただひたすら撫でているだけなんてつまらない。文句もひとつの表現ではあるけれど、それだけではクリエイティブとは言えない。おもしろみのない人たちのおもしろみのない文句なんて当然おもしろくないんだから、真に受けたっておもしろくはならない。

ZAZEN BOYSの“You make me feel so bad”を思い出してほしい。笑えるくらいかっこいい悪口の歌だよ。に!どと!あい!たく!なーい!ゆー!めいく!み!ふぃーそばー!

配信で木暮さんも言っていたけれど、やりたいと思ったことをちゃんとかたちにするのってすごいことだと思う*4。だから、責任の伴わないネットの僻地であれこれ言う私だって、ただ文句だけ言っている人たちとそんなに変わらないのよね。

ともあれ、1本のMVとして完成させたのはすごいし、作品性もある。ただ、そんなに良いとは思えなかった。……いやー、評されるのって地獄だよね。創作は地獄の始まり。私だって、おもしろいって思われたいもん。自分がおもしろいと思って書いたことを、誰かにもおもしろいと思ってもらえたら、それに勝るものなんてない。

そういえば“MTZ”のMVも公開されている。


the band apart “MTZ” MV

個人的には、ラストシーンが超怖い。途中までは「エンディングで走るアニメは名作」という格言(?)を思い出しながら見ていた。

走るという行為には、ふたつの方向性がある。ひとつは何かに近づくため、もうひとつは何かから遠ざかるため。笑っているようにも、不安気にも見える女の子の表情からは、そのどちらとも判断がつかない。場の空気をつかめないまま、ラスト、女の子をつけていた男が車から降りてきて……。まじで怖すぎる。私だけ?みんなはどう感じたんだろう。曲はもちろんかっこいい。

まぁ、ただひたすら女の子を走らせたい、という欲望で撮ったMVなら、それはそれで最高。欲望の前では意味なんて無意味だよ。私が見出した意味よりも、私が見出せなかった理由を提示されるほうが100倍おもしろい。私は私とずっと一緒にいるから、正直ちょっと飽きている。

誰でもいい、私が見出せない何かをもっともっと見せてくれないか。


おまけ

もしかして、これも原さんが提供した曲なのかな?万年にわかファンだから知らない……。なんかSPECIAL OTHERSぽい感じもする。“kirigaharetara”よりも好き。

*1:ようやく名前を覚えた。

*2:いつもそう。

*3:ちなみに「ガロ系」のところでもうひとつの→が発生し、400字以上脱線しはじめたのでカット。私の話は基本的に脱線する。

*4:ゲストの山﨑聖之を評したときの発言だった。