部屋と沈黙

本と生活の記録

書くことについて書くこと

書くことについて書こうとすると、どうしても感傷的になってしまう。
私は忘れてしまうことを恐れている。

記憶こそがわれわれの生を作っていることに気づくには、ごくわずかでも記憶を失いはじめる必要がある。記憶のない生は、まったく生とはいえない。それは、表現の可能性を持たない知性が真に知性とはいえないのと同じだ。記憶は、われわれの一貫性を保つものであり、理性であり、感情であり、さらには行動でさえある。記憶がなければ、われわれは何者でもない。
ルイス・ブニュエル『わが最後のため息』より

忘れてしまうことで、何もかもなくなってしまうことを恐れている。私は確かにいたし、見ていた、取るに足らない私にも名前があった、それを肯定するために書く。書くことで、私は私を見ている。

目を開けて、その目が永遠に閉じてしまう前に、できるかぎりのものを見ておくんだ。
アンソニー・ドーア『すべての見えない光』より

そういうふうに、自分自身をなんとか肯定することで、私と似たような人たちのことも肯定できないかと思う。何か、特別で素敵なことが起こらないかと、地味に、真面目に、ものぐさに、毎日を過ごしている人。

顔も名前も知らない、きっとこの先会うこともない、私と似たような人たちのことを思う。自分が何者でもない空白だと寂しく思わないように。

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)

この際だから予言しておくが、ドーアの『すべての見えない光』は映画化される。予言なんて言ったもん勝ちなんだから、誰だって予言者になれる。

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」