部屋と沈黙

本と生活の記録

ブログ福袋2018

新しい年。

スマートフォンのメモ機能に残された2018年の残骸をここに記す。いずれもブログ用に書き始め、書き終えられず今まで放っておいたものだ。「福袋」とか言いながら、結局ゴミ箱の中身と一緒じゃねえかと「最近削除した項目」一覧を見て思う。すみません。今年もよろしくお願いします。


1.

穂村弘は『きっとあの人は眠っているんだよ』のなかで、「どこまでもどこまでも夢の底が抜けてゆく」と書いた。


2.

リップヴァンウィンクルの花嫁』

半分ずつで生きている
半分だから、どちらかが死んでしまっても生きていける
現実とネット
傷つきやすくなったのか
ただ、SNSに「死にたい」と書き込めるほど自由ではない

主人公の迂闊さにイライラ
もとより、女の子を酷い目に合わせる岩井俊二が心底憎い
リリイ・シュシュのすべて

3時間に及ぶ
悪くなかったな、
まぁいい映画だったなと思う

最後、


3.

『羊の木』

私は人間の多様性に対して比較的寛容であると思っていた。

たとえば、LGBTにはほとんど偏見がない(と思っている)。男が好きな男がいてもいいし、女が好きな女がいてもいい。というより、それらを嫌悪する人の気持ちがよく分からない。好きになる対象が異性であれ同性であれ、気持ちそのものに違いがあるとは思えない……というのは半分建前で、残りの半分は他人がどうしようと私自身にはあまり関係がないから。なんで多数派でないといけないんだろう?どうでもよくない?
そういえば、LGBTフレンドリーなシェアハウスを紹介するニュースを読んだとき、素直に「いいね!」とは思えなかった。そういうシェアハウスをわざわざ作らなければならない世の中の方が不思議だ。まじで、どうでもよくない?

とはいえ、私の考え方にも自分では気がつかない偏りがあるかもしれない。だからこそ、できるだけ寛容でありたい。自分自身でその人自身を知ろうと試みること。

じゃあもし、その〈多様性〉が〈殺人を犯した者〉だったとしたら?

映画『桐島、部活やめるってよ』の監督である吉田大八の最新作『羊の木』を観てきた。寂れた港町・魚深へやってきたのは仮釈放された元受刑者たち。どこか異様な雰囲気をまとう彼らは皆、過去に人を殺したことがある者たちだった。

緊張感を孕んだまま淡々と進んでいく

彼らに対して偏見を持たずに接する自信がない。殺意が他者へ向かい、超えてしまった人たち。
私の寛容さは、とても狭くて脆いものだったんだと思い知らされる。

結末までは本当に、

オチの超展開
「え!?」


4.

川上未映子×マームとジプシー『みえるわ』
2018.2.25 sun
山口情報芸術センター

川上未映子の詩を舞台化
舞台にはアンティークのミシンや肘掛け椅子、トルソーや流木が置かれ、いつになく有機的な印象を受ける。

舞台上に設けられた客席
緞帳で隔てられたコンパクトな空間
その向こう側に、通常の客席がある

演目は、「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」「治療、家の名はコスモス」「水瓶」「夜の目硝子」

朗読でもなく芝居でもなく、それは乙女の決起集会のようで、詩は歌になり音になって迫ってくる。

「水瓶」のクライマックスで起こる意識の反転に合わせて幕が上がり、すっかりその存在を忘れていた約300もの赤い客席と相対することになる。その空席が、かたまりのような不在が、こちらを見ているような気がして、そのなかに私の水瓶が、もしかしたらあるような気がして、私は水瓶を置き去りにしたのか、水瓶に置き去りにされたのか、分からない。分からないまま、つかみどころのない不在に視線を泳がせている。

水瓶を置き去りにする少女
少女を置き去りにする水瓶


5.

何かの象徴に見える


6.

爆音映画祭

昼夜逆転の生活に浸りきっていた大学生のころ、退屈を紛らわすために深夜テレビのチャンネルをくるくるかえていたら、膨張する自身の肉片によって押しつぶされそうになっている男が目に飛び込んできた。

老人のような見た目の子ども。

途中から見たせいで何がなんだか分からなかったけれど、「私は、今、凄いものを見ているんだ」という予感があった。

それから10年以上経ち、ようやく大友克洋の『AKIRA』を始めから終わりまで、爆音で観る。

AKIRA
何かの始まり


7.

一度失った信頼を取り戻すことはできない
新たに築くしかない
しかし、それはとても難しい
なぜなら、その足元には崩れた信頼の瓦礫が散乱しているから


8.

ひとりで暮らすということは、ブロッコリーのあの青い一株を、ひとりで引き受けるということなのだ。


9.

シェイプ・オブ・ウォーター

一度、死ななければならない
死や、死に等しい痛みを差し出さなければ手に入れることができない

「ありのままの私を見てくれる」
それは彼にとっても同じことだったんじゃないか
アマゾンの奥地では畏怖の対象として、研究所では実験体として、

かっこいいハンギョドン


10.

郵便局でこぐまちゃんの「はんぶんたけてぬぐい」を買う。「半分だけ」の誤記かと思ったら「半分丈」だった。やや小さい手ぬぐい。


11.

振替休日、雷雨。
北九州市立美術館分館へ、ブルーノ・ムナーリ展を観に行く。
交通費節約のため、下関までは車で向かい、そこから電車に乗って西小倉へ。
美術館の受付でJAFカードを提示したら、前売り価格で入場することができた。

平日かつ大雨だからか、会場内には監視員の姿しかない。奥の展示室からプロジェクターのモーター音が聞こえる。展示が終わりに近づいたころ、二人連れに追い抜かれた。

自分の内に引きこもって観る。

ミュージアムショップでは「おしゃべりフォーク」のポスターと「読めない本」シリーズのマントヴァ1号、“KKJ Landscape Cafe”のドリップバックセットを買う。


「読めない本」シリーズのマントヴァ1号。白い封筒にイタリア語でMoMAにコレクションされていることや、2016年の第10版であることが書かれている(んだと思う)。


ポスター(一部)。ちなみにこのピンクは、ムナーリが自身の奥さんに捧げた色だそう。


珈琲工房森山、自家焙煎珈琲工房ロッシュ、ヨカ珈琲の3店が、北九州の風景をイメージしてブレンドしたドリップバックセット。

今から10年前、ムナーリ生誕100年のときには滋賀県立近代美術館へ行った。



ムナーリ生誕100年展の図録


12.

大雨の次の日、空っぽになったスーパーのパンの陳列棚を見て、ようやくおかしいと気づく。生活圏内には通行止めも土砂崩れもなく、ただ雨が、しつこくたっぷりと降った日という印象しかなかった。日を追うごとにふくらんでいく死者数が、災害の大きさを物語る。

大きな災害が起こるたび、想像力を失わないよう言い聞かせてきた。私の想像力は乏しい。

当事者に


13.

大きい夢なんかじゃありません。自分次第で手の届く目標です。家を買うのに、自分以外の誰の心もいらないんですから。

プリンセスメゾン』で沼ちゃんがこう言ったとき、少し寂しいと思った。

自分で自分を幸せにすることこそが自立
自分を幸せにすることに責任を持つこと

もちろん、他人との関わり合いのなかでしか得ることのできない幸せもある。
幸せのかたちをひとつと決めつけない。


14.

フリーマーケットで籐かごを買った帰りに、図書館主催の古本リサイクル市へ。会議室の半分にも満たない小さな催しだったけれど、それなりに賑わっていた。文庫・新書は一律50円。ほかに四六判や雑誌もある。


15.

先週末も同じように、布団にくるまって文章を書いていたんだった。フリーマーケットで籐かごを買った帰りに図書館主催の古本リサイクル市に寄り、云々。手塚治虫カッパブックス版『マンガの描き方』、佐多稲子の『夏の栞』、池内紀編訳の『カフカ短篇集』。全部で150円。
でも途中で眠くなってメモだけが残り、「また明日」が明日になる。

朝になれば、栗ごはんが炊けているはずだ。