部屋と沈黙

本と生活の記録

「ままならない」のなかに

今更ながら、手を動かして何かを作るのが好きかもしれない。

お正月、必要に迫られてぽち袋を作ったとき、ひたすら作り続けられそうな気分だった。大学で建築模型を作成していたときは、趣味にしてもいいと思った。さかのぼれば、コミック雑誌のふろくを組み立てるのが好きだった。ふろくに興味のない、きょうだいたちの分まで作った。

ちいさいころから本ばかり読んで、「なぜだろう」と考えたり、「今」を文章にして留めておきたいと思ったり、手でさわれないものばかりを大事にしてきたけれど、本当に好きなのは、手でさわれるものなのかもしれない。

たとえば、文章を書くのが好きだとは言い切れない。おもしろいけれどままならず、難しい。ブログをスイスイ更新していく人を、本当にすごいと思う。羨ましくも思う。

あるいは、運動なんて苦手だと敬遠していたのに、水泳を始めてから身体を動かすことが好きだと気づいた。たぶん、ボールとかラケットとか、道具を使うスポーツが苦手なんだろう。

ままならないおもしろさに夢中になって、「好き」が見えにくくなっていたのかもしれない。ままならないから苦手だと思っていたことにも、「好き」は見つけられるかもしれない。

それなら、なんでもやってみようと思う。大人になったおかげで、「やって後悔」することがほとんどなくなった。むしろ「やらなくて後悔」する。掃除だって、やるまでは面倒だけど「やって後悔」することはない。あれこれ考える前にやってみるべきだ。わくわくする気持ちを大事にして。