部屋と沈黙

本と生活の記録

ディストピア暮らし

緊急事態宣言が解除された。今も家にいる。家にいながら、外出するための口実を探している。掃除機をかけ、食器を洗い、家のなかの不足について考えている。不足を補うためなら、外に出てもいい?

ここはどこのディストピアだろう。「新しい生活様式」を見る限り、もう二度とライブなんてできやしないんじゃないか。行き着く先は「青年反セックス連盟」か?オーウェルの『1984年』を読んだのはもう10年以上前で、当時はただおもしろいだけだった。私はまだ若く、生まれ育った町とは違う街で暮らし、wwwは世界と繋がる複数形の窓だった。『1984年』で描かれる管理社会は、私の物語とはまた別の物語だった。無数の窓には同じ数だけ目が張り付いていることに気づかないまま。

偉大な兄弟があなたを見守っている。
1984年』ジョージ・オーウェル/新庄哲夫

フィクションがノンフィクションになって殴り込み。

不要不急の外出をしたい。行動に意味や理由を持たせることが、こんなにもしんどいとは思ってもみなかった。意味をふくらませ、理由を見つけることは楽しい遊びだけれど、もう意味も理由もないことをしたい。たとえば脈絡のない夢の話をするとか。

Sofianegossoの新曲『涙の表情』がオリコンランキング20位にランクイン。ハンディカメラで道ゆく人々の目元を隠し撮り収集したノイズまみれのMV。

Sofianegossoなんていやしねえ。なんで、いもしない、知りもしないことの夢を見るんだろう。もしかしたら私自身はもう既に知っていて、そのことに私だけが気づいていない、なんてことがあんのかな。私たちは知るためじゃなく、思い出すために生きてるんだよ、なんて。感傷的なまやかしだろうか。たまに、夢の中で立ち読みしたりするよ。

意味が分からない文章は、その意味の分からなさのために存在している。

ここ最近のディストピア暮らしで、カフカを表現できるようになっている(気がする)。とはいえ、こんなんほぼ何も言っていないに等しい。言葉をつくして何も言っていないなんて、意味がなくって最高だ。

ウィンストンはテレスクリーンの死角で日記をつけ始めた。ただ書くことさえ反逆になるディストピアで暮らし。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

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