部屋と沈黙

本と生活の記録

一億光年と一日

3/29にYouTubeライブ配信されたフルカワユタカとthe band apartのツーマンツアー「Play with tour 2020 "with mellow fellows"」のアーカイブ映像をようやく観た。きっかけは、原さんとフルカワユタカの“お家でドナルドとウォルター”。「フルカワユタカってほんとにギター上手いな、そういえば……」で、思い出した。

ライブ配信当日、うっかりソファで眠り込んでしまった私は、気持ちよく寝過ごした自分に腹が立って悲しくなり、今までなんとなく観ることができなかったのだ。我ながらくだらない理由だと思う。

DOPING PANDAのことは、名前だけ知っていた。もう少し正確に言うなら、18か19の頃に1曲だけ聴いたことがある。the band apartを知ったディズニーのトリビュート・アルバムに、DOPING PANDAも参加していたからだ。ためしにYouTubeで探しみたら(「DOPING PANDA ディズニー」)、めちゃめちゃ聴き覚えがあって、なんだか笑ってしまう。そのアルバムをレンタルした当時、気に入った何曲かをMDに録音して、繰り返し聴いていた。

私はどちらかというと音楽をかたまりで聴くタイプと言えばいいのか、小学校4年生くらいの頃、弟がやっていた『スーパーマリオワールド』を眺め、何気なく、マリオがヨッシーに乗ると音楽が変わるね、と言ってみたら、弟も妹も、近くにいた母親までもが「変わってない」「一緒やん」と口々に言い、まじでびっくりしたのだった。私には、マリオがヨッシーに乗ったタイミングで、今まで鳴っていたメロディに可愛い太鼓みたいな音が重なって聴こえていた。

「えっ!違うよ!うしろのほうでトコトコトッコっていいよるよ!ちょっと降りてみて聴いて……乗ってみて、ほら!」などと力説し、最終的には分かってもらえたのだが、そうか、(聴こうとしなければ)聴こえない人もいるのかと、すごく驚いたことを覚えている。そして、みんなにとっては「一緒」でも、私にとっては「違う」ものがあるんだ、とも。それは少し怖くもあった。みんなとは違う部屋で一人きり、取り残されているような気分だった。

ともあれ、私のベース好きはここから始まったのかもしれん。ヨッシーの可愛い太鼓の音とともに。

the band apartの好きなところを簡潔に(かつ乱暴に)述べるならば「聴くところがいっぱいある!」であり、その「聴くところ」のすべてが、一斉に響くところだ。音楽をかたまりで聴く私にとって、それは至上の喜びなのだが、フルカワユタカの音楽には、また違った良さがあるように思う。メロディが声に沿って立っていて、流れがある感じ。音に合わせてハミングしたくなるというか、耳だけでなく声で、そのメロディに触ってみたくなる。

ライブのアーカイブ映像を観てからは、Amazon musicに公開されている『yesterday today tomorrow』を繰り返し聴いている。ライブにも行ってみたい。できれば地元の。山口県出身と知り、安易にも親しみを覚えている。なんでだろう、言葉とは違う、身体的な言語が共通しているからか?いや、これはロマンチックすぎるか。10代の頃の私にとって、ここは、とにかく出て行きたくて仕方がない町でしかなかったんだから。

タイミングなんて偶然のようでいて、その実、タイミングこそがすべてのような気もする。the band apartと一緒にDOPING PANDAを知り、the band apartと一緒にフルカワユタカが戻ってきた。一億光年と一日ぶりに。

傑作選

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