部屋と沈黙

本と生活の記録

君は多面体の

車の中で音楽を聴くのが好きだ。車を運転するときの、俯瞰的に集中しながら移動する感じが、音楽を聴いてるときの感じと少し似てる。あとは、単純にスピーカーの数が多いし。

時おりナビに邪魔されながら(「およそ、300m先、右折専用レーンがあります、ご注意ください」)、フルカワユタカの『傑作選』を聴いた。

新しい何かを知るたびに、私には知らないことが多すぎると思う。18、9の頃から聴いてるthe band apartにしたって、いわば「17年来の“にわか”ファン」でしかないから、DOPING PANDAとコラボした“SEE YOU”を知らなかった。あんなにかっこいい曲なのに……。

Amazonプライム・ビデオのラインナップを眺めて、天国に似た地獄にいるような気分になるのは、あれもこれもおもしろそうなのに観たことがないし、知らないからだ。今この瞬間にも「素敵な何か」は増えまくり、私はすべてを知ることができないまま、いつか本当に死んでしまう。

新しい何かを知って、良いなと思えば思うほど、嬉しくて楽しくて、少し哀しい。私はDOPING PANDAを知らなかったし、フルカワユタカの性格に難があるのも知らなかったし、でも今はちょっと良い人らしいことも知らなかったし、ずっとメロディが鳴っていたのに聴こえていなかった。

振り幅が大きくて多面的なアルバムだと思う。ベストアルバムっぽくないベストアルバムというか、私が思うベストアルバムって、もっと全体的につるんとしててたまに退屈なんだけど、フルカワユタカの『傑作選』は、なんだかぼこぼこしてる。だからこそ、好きなのと、よく分からないのと、好きなのとがあって、それがおもしろい。ソロになったフルカワユタカがフルカワユタカを矯めつ眇めつここまでやってきた、みたいな。「フルカワユタカのベストアルバム」というより「フルカワユタカっぽいベストアルバム」だと思う。……いや、“にわか”ファンが何言ってんだって感じだよね、自分でもそう思うもん。ともあれ、久しぶりに、嬉しくて楽しくて少し哀しくなるくらい、良いなと思った。ついでにコラムもおもしろい。

生まれてから死ぬまで、私は私でしかない。私は私から逃げることができない。だったら、せめて今とは違うかたちになりたい。へこんだりとんがったり透き通ったりどす黒く濁ったりしたい。ここになんかいたくない、「私」の外側に出てみたい一心で、本を読み、音楽を聴き、「素敵な何か」のかたちを保つために言葉で囲んで、自分のかたちを変えてしまいたいと思う。

私と30年以上も一緒にいる私に、私はもう飽き飽きしている。退屈な「私」から抜け出すために本を読み、音楽を聴き、言葉を通して考えながら、結局は「素敵な何か」越しに見える「私」のことを見詰めている。私は私のことをよく知らない。知りたくてたまらない。

そういえば大学生のころ「矛盾したこと言ってんのに、筋は通ってる(笑)」と言われてびっくりしたことがある。私自身は全部本当のことを言っているつもりなのに、それがやっぱり矛盾しているのなら、もうお手上げだ。お手上げだから、これからも矛盾しながら筋を通すしかない。私の「本当」は矛盾している。バカっぽくて最高だ。

きっと誰にも、私から私を取り上げることなんてできないよ。

傑作選

傑作選