部屋と沈黙

本と生活の記録

禁忌に触れる

バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』を観るためにテレビをつけると、野球界の原さんが笑顔でエア・ハイタッチをしていて、木曜の晩に配信されたthe band apartのライブを思い出す。

第一部の終盤、演奏中の原さんが(バンアパの。念のため)、他のメンバーに握手を求めたのだ。原さんの意図は分からないし、意図があったのかどうかも分からないけれど、なんとなく胸に迫るものがあった。

今、ソーシャルディスタンスだとか、非接触式だとか、とにかく「触ること」に不寛容な世の中にあって、マスクなしで握手を求めた原さんこそ、現代のナウシカかもしれない。

汚れているのは土であり、ウイルスであって、腐海の植物群や身体ではない。「触ること」を禁忌にしてしまうと、身体そのものが忌むべきものになってしまうような気がして、私はそれがすごく嫌だった。私は、危険思想を抱く非国民なんだろうか。分からない。

ともあれ、原さんの行為に私の憂鬱(と多少の悪ふざけ)を背負わせるのは申し訳ないのでやめる。the band apartはかっこいい。だから聴いていたい。それだけでいい。the band apartと同じ時間に生まれたことが、私の最上の功績だ。

で、『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』である。たびたび「未来に戻る」せいで、時間軸が混線し、私の頭も混線する。前作に輪をかけて過剰だ。ドクの早口に「え、ちょっと待って、もうちょっと説明して」と思いながら、それでも楽しかった。あー、タイム・パラドックスについて教えてくれる友達がいたらなぁ!

それにしても、私がいちばんかっこいいと思っていたシーンにも後日談があって笑う。ほんと「なんてことするんだ」だよ。来週も楽しみ。1、2とおもしろかったから、3が快作でも駄作でも構わん。愛す。

古川日出男の『おおきな森』を読み進める。始まりの「第二の森」、続く「第一の森」、厚さにして3ミリを読み終え、もうだめだ、これはもう「買う」やつだ、と確信する。言葉に宿る声とリズムによって、林立するイメージ、イメージ、イメージ……。

『おおきな森』には、おそらく私にとって大事なことが書いてある。思考を繁殖させ、飛躍させるような何か。久しぶりに高揚している。中堅の“本読み”であると自認し、何もかも見慣れたような気分に陥っていた間抜けな自分を思う。私には、まだ見えていないものがある、それも山のように。じゃあなんで「だめ」かっていうと、本棚の心配をしているのだ。

本棚が足りない。

去年の5月に片付け始め、1年を経て未だに片付いていない4畳半の空き部屋に、読んだ本とまだ読んでいない本の山がある。その山の頂が、6.5センチ余計に高くなるのだ。この、ちょっと頭がおかしいんじゃないかと思うほどの分厚さによって。

そして、いつかの引越が地獄と化す。今なお私は、自らの手で地獄を形成し続けている。

じゃあ電子書籍にすればいいのに、とも思うのだが、紙の本を触るのが好きだし、言葉が層になっているのを目で見るのが好きだし、何より、物として馬鹿であることが『おおきな森』にとって必要なのだ、たぶん。

おおきな森

おおきな森