部屋と沈黙

本と生活の記録

持ち運びのできる小さな箱

恋に落ちるっていいね!ほんとにいいね!!

バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』に恋のときめきを思い出させてもらえるとは予想していなかった。

初対面なのにクララの帽子がずり落ちてるところなんか間が抜けてて超可愛いし、「正しくないこと」を選んでしまうほどの愛って、どれほどのものなんだろうと思う。ドクにとって「正しく科学者であること」がアイデンティティだったはずなのに、愛を前にすると「私」という自意識など無くなってしまうんだろうか?

ジュール・ヴェルヌの本を介して、二人の仲が深まっていくシーンも良かった。以前、アンソニー・ホプキンス主演の『日の名残り』に、一冊の本を介した素晴らしいシーンがあると書いたんだけど、それに匹敵するくらいの、キュートなシーンだったと思う。ほんとに良いよ、観たほうがいい。本が好きな人はみんな観たらいい!

個人的なジュール・ヴェルヌ体験といえば、小学生のころに『十五少年漂流記』を読んだのと、世界初のSF映画と言われているジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』の映像目当てに、全然知らないアーティストのアルバムを買ったくらいで、今のところ恋には落ちていない(残念ながら)。

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メリエスの『月世界旅行』にインスパイアされたAIRのアルバム
初回生産限定盤に『月世界旅行』のDVDが付いている

メリエスの『月世界旅行』は、ジュール・ヴェルヌの『地球から月へ』『月世界へ行く』を下敷きに、H・G・ウェルズの『月世界最初の人間』の月人のエピソードを加えて、1902年に製作されたものらしい。

俳優らの大振りな動きが音の代わりになっているから、正直、あの音楽を“劇伴”とするのは余計かな、とも思う。映像も音楽も個として突出しているから、なんというか、双方にとってもったいない。いつだったか、「良い映画音楽とは、映画を観終わったあとに、どんな音楽が流れていたかを覚えていないものである」っていうインタビュー記事を読んだことがあるんだけど、誰だったかなぁ。

いずれにせよ、恋に落ちたい。恋に落ちて、できれば愛に触ってみたい。最近、釈明のように付け足された愛の言葉に違和感を覚えて、この「愛」は私の思う「愛」とは違うと、人ごとながら感じた。

私は、言葉のことを「どんな感情を入れても構わない持ち運びのできる小さな箱」のように思っていて、たとえば、関東からやってきた人に「山口の夏の夕方6時は、すごく明るい」と言われて、「夏の夕方6時」という“具体的な”時間を示す言葉でさえも、人によって、仕舞われている印象や光の加減が違うんだと、それが本当に、すごく良いと思った。そういうところが、私の好きな、言葉の脆くて強いところだ。

なのに、こと「愛」に関しては、同じようなかたちの感情を入れる人でないと嫌みたい。「愛」の何たるかを、まだよく知らないくせに。

知らないから、知りたいと思う。「愛」の何たるかをよく知らなくても、「違う」ということが分かるのが、せめてもの救いだよ。

私の純粋な欲望は、「愛」という言葉を使わずに、愛という感情を言葉で囲んでしまうことだ。「愛」に対する「欲望」なんて、それこそ対極にあるはずなのに、そう思ってしまう私はやっぱり、まだ愛をよく知らない。



the band apart(naked)のYouTube配信とはなんだったのか……ほんと、最高で、くそみたいで、最高の配信だった。楽曲とトークの落差に目眩がする。演奏のミスは気にしないけれど、トークはほんとにひどかったもん。「お金を払う人」がいれば「お金を払わない人」がいるのは当然で、「キャバ爺」がいてもいいように「文化人気取り」がいてもいい。そのどちらかの立場から片方をくさすのはかっこ悪いし、「キャバ爺」であることすらくさしているように思えて、さらにかっこ悪かった。「キャバ爺」には「キャバ爺」の、「文化人気取り」には「文化人気取り」の、「コンビニ店員」には「コンビニ店員」の意義がある。

でも、そのくそみたいなトークで笑っちゃってるんだから、私ももうどうしようもないよね……。嫌いにはなれない。かっこいいんだから、かっこつけたらいいのに。

……あれ、これが愛なのか?たとえるなら「正しくないこと」を選んでしまうほどの愛。9月から年明けに向けてのリリースラッシュがすごく楽しみだ。でも、本当にリリースされるのかなぁ……(バンアパのリリース情報に関しては、毎回こんな感じ)。「公式の情報が眉唾」ってどんなバンドだよ、と思う。