部屋と沈黙

本と生活の記録

紙の束とピアノの音

オンライン紙博のライブラインナップに「曽我部恵一」の名前を見つけて、積読の山から『昨日・今日・明日』を引っ張り出してきた。

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ちくま文庫版の奥付は2009年11月10日。それよりももっと前(だったと思う)、ROCKIN'ON JAPANで連載されていたコラムが好きで、よく読んでいた。

若者よ、恐るるなかれ、天使だけが絶対じゃない。

文庫版のために寄せられた前書きが、11年後の今の気持ちにしっくり合う。かなり偏った、不完全な知識しか持ち合わせないまま、8月9日の夕方、歌う曽我部恵一を初めて観ることになる。

2020.8.8 Sat. 14:00- コトリンゴ(music live)
オンライン紙博

オンラインライブのいいところは、涙が出そうになるのを堪えなくていいところだと、コトリンゴの歌とピアノを聴きながら思う。私の涙は超安いから、わりとすぐ泣きそうになる。

誰かが泣いてると、びっくりして我にかえるよね。えっ、どうしたん!?って。せっかくライブに来てんのに、たまたま近くにいた私が突発的にグズりだしたら気が散るやろうなぁと思うのと、泣くのってすごく個人的なことで、私としても恥ずかしいし。だから、家の外で泣きそうになると、怒ってるみたいな変な顔で我慢してる。

歌も、声も、ピアノも素敵だった。ピアノの音がずっと好きだったことを思い出した。

遠い昔、3歳のころからヤマハ音楽教室に通わされ、中3までピアノを習わされていた。練習嫌いなうえに、オクターブがやっとの小さな手で、ただ「やらされて」いたせいで、残念ながら、まったくものにはならなかった。それでも、リズムとメロディが和音になって響くピアノの音が好きだった。

実家には、調律されなくなって久しいアップライトピアノと、28のときに自分で買った安価な電子ピアノがある。電子ピアノは、失恋がきっかけの気まぐれな思いつきだった。自分の慰めのためだけに小さな音で下手くそなピアノを弾くことが、すごく特別なことのように思えたのだ。誰にも聴かせない、誰にも渡さない音。まさか、かつて「やらされて」いたことに救われるときがくるなんてね。

29で電子ピアノもろとも実家に戻り、その後、再び一人暮らしを始めた。ただでさえ本が多いのに、さらにでかくて重い88鍵を運ぶなんてと面倒くさがっていたけれど、また弾きたくなっている。

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オンライン紙博のミーティング開催期間は8/9、お買いものは8/14まで。ライブやトークイベントはアーカイブされるみたいだから、私の紙博はしばらく続きそう。

9日の14時からは柴田先生の朗読ライブがあるし、自宅にいるのに超忙しいよ。


おまけ
コトリンゴのベストアルバムをチェックしていたら、須藤寿がいる。またしても地引網に引っかかって繋がってんのに驚く。もしかして、わりと「あるある」なの?びっくりしてんのお前だけだから、みたいな感じなのかしら。髭のYouTube配信『RemoTE HiGE』でスポット公開されたニューアルバムの音源もすごく良かったな。9月には配信ライブがあるらしい。

とはいえ、紙博でお買いものもしたし、ENNDISCのサマーセールでも買っちゃったし、ペトロールズからはライブ音源が出そうだし、バンアパはリリースラッシュだし、いつものように欲しい本が山ほどあるし、オンラインでいろいろなものが手に入るようになって、だからこそ、手が届かないものも増えたと思う。もっと正確に表現するなら、手が届かないと思い知ることが増えた。もっと正直に言うと、お金が足りないってこと!

何に手を伸ばして触ろうか。