部屋と沈黙

本と生活の記録

ただごとにいたらず

なんでもない1日をなんでもないまま書くのが苦手なんだろうと思う。

見て、書きながらもっとよく見て目を凝らし、「考える」に至らなければ何もかもが至らない、そう思ってしまう己の性分がまじで面倒くさい。「考えない」ことは「考える」ことと同じくらい大事だと、前にも書いてなかったか?

対象はいつもそのままで美しい。付け加えるように何かを言う必要はない。言葉は邪魔くさい。曇りのないガラスに素手で触ってべたべた指紋をつけるみたいに、「考える」ことはたまに汚い。自分がやっていることは美しいものを汚すことでもあるんだと、ときどきちょっと嫌んなるよ。

短歌の「ただごと歌」は、見たまま、感じたままを走り書きするように詠う。

考えるな。意味なんて見出すな。ただ見たものを指差すように書け。無数の「なんでもない」は、たぶん、いつもそのままが美しい。

というわけで、美しいほどになんでもない1日を過ごす。外は晴れて、何もすべきことがない。だから本を読む。小説を、物語を読む。世間では読書が持ち上げられすぎているような気がするけれど、小説ばかりを好んで読む私の読書なんて、娯楽以外の何ものでもない。

幼いころは本を読んでいるだけで褒められた。大人になってからも「すごいね」と言われる。なんでだろう?すごくない。全然すごくなんかないぞ。ただ楽しく遊び呆けているだけだ。

日がな一日ゲームしたり、アニメばかり観ているのと大差ないのに、本を読んでいるだけで読書家と、「読書」でなぜか「家」が建ち、さも立派みたいに形容される。ゲームなんか可哀想に「ゲーム脳」とかいう謎の脳まで見出されて、目の敵にする人もいるのに。

なんで?不思議でしょうがない。手持ちのギミックを組み合わせてパズルを解いていくゲームとか、閃きと創造性のかたまりだよ。ボードゲームも、将棋もそう。読書より、余程クリエイティブだと思う。

何はともあれまあいいか、すごくないのにすごいと言われりゃ楽勝で、世間の誤解を隠れ蓑に遊び呆けていられる。たぶん、小説が好きな人たちは皆それに気づいていて、何はともあれラッキーだから黙っているんだろう。

そんな誤解をするほどに、世間はあまり本を読まない。そんな世間が持ち上げる読書。

あれ、ただ指を差すように1日を書きたかったのに、また余計なことを考えている。山口の方言に「いたらん」というのがあって、またいたらんことを考えよる。「いたらん」には「余計な」という意味に「しょうもない」のニュアンスが含まれる。いたらん考えに至ったせいで、またいたらんことになった。

……よし分かった、もういい。根は変わらん。覚悟せえよ、私の好きなものたち。大事に大事にして、ぎゅうぎゅうに抱きしめてやる。この本の、このくまたちがされたみたいに、撫でまわさんばかりに考えて、言葉をつくし、書いてやる。

愛されすぎたぬいぐるみたち

愛されすぎたぬいぐるみたち

私自身はそれほど強くないけれど、私が好きなものたちは、私が撫でまわしたって壊れないくらい強くて美しい。その強さを、いつも借りているから分かる。それだけは確信している。

私の好きなものたちはすごいよ。


おまけ

the band apart“AVECOBE”のMVが公開された。バンアパスタッフのナントカ君が作ったらしく、このあいだの配信で、木暮さんが「いろいろな意見を」とおっしゃっていたので、私だったら画面を4:3にする!と言いたい。90年代ブラウン管のサイズ。あとは“あべこべ”だから、逆再生でところどころスイッチさせてもダサくて良いかな。あー、責任がないところであれこれ言うのは楽しいね!笑

“9th Grade Bubble Pop”だったら、ただ女の子だけを撮るか、成長した男の子が過去に使ってた路線に乗って不意に思い出す、みたいなシーンもいいけど、彼らを出会わせることは絶対にしない。絶対に。だってそのほうが良いから。これはもう私の趣味だね!一方通行だからだよ。さみしいのが良いんだよ!バンアパのメンバーには、バスの乗客としてカメオ出演してほしい。

ともあれこれ以上は、真剣にリサーチして考えないと思いつかないからやめる。いずれにせよ、何かひとつ作るときには、10以上のものが必要になる。たぶん、天才は閃きで作っちゃうんだろうけど、私は違うから。10以上のものに溺れる必要がある。溺れて、死にそうになって、ようやく呼吸する。そのひと呼吸だけが、凡人が天才に抵抗できる唯一の「思いつき」なんだろうと思う。

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