部屋と沈黙

本と生活の記録

小さく棲む、あるいは複数の椅子

最初に言っておく。これはレビューではない。セットリストはおろか、音楽のことなんてほとんど書いていない。記録というより記憶に近い、印象の触りみたいなものだ。かっこよくレビューしたくても、できないもん。ん?って感じ。まあ、一人くらいトンチンカンに書き散らすファンがいてもいいよね、たぶん。“明後日の方向”だ、私は明後日の方向から行く。

フルカワユタカの『オンガクミンゾク』、第3回のゲストはBase Ball Bear

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Base Ball Bearのメジャー1stアルバム『C』を聴いたきっかけは音楽誌かなにかで、NUMBER GIRLのフォロワーであることを知ったからだったと思う。今も昔も向井秀徳にやられっぱなしの私としては気になるし、まぁ聴くよね。

当時の日記には、NUMBER GIRLSUPERCARART-SCHOOLっぽさ、みたいなことが書いてあったけれど、今あらためてざっと聴くとそうでもない。歪な表現を許してもらえるのであれば、すごくBase Ball Bearっぽいと思う。

『C』について書いた次の日、「誰かのなかに、小さくても棲めたらいいのに」なんてことを書いていて、「〇〇っぽさ」みたいなものは、自分のなかに誰かが小さく棲む、椅子があるってことなのかなと考える。だとすれば「〇〇っぽさ」は全然悪くなくて、むしろすごく良い。椅子さえあれば、いつでもその“誰か”に座ってもらい、話すことができる。

気のおけない間柄だからこそできる雑な合いの手も最高だった。「始まりました、オンガクミンゾク……」「わー!」、「そろそろお別れのお時間が……」「えー!」。うーん、雑!最高。身内に対して雑になる感覚に似てる。あの力の抜けたやりとりを見ていると、彼らの関係が良いものであることがなんとなく分かる。

『ゲッコウとオドリコ』、『真夜中のアイソレーション』を今回のライブで初めて聴いたんだけど、かっこよかったな〜。フルカワユタカは良い曲が多くてびっくりするよ。聴き始めて日が浅いのと、どちらかといえば気に入ったアルバムを繰り返し狭く聴くせいで、“にわか”かつ視野狭窄、その視野狭窄がさらなる“にわか”感を招くという悪循環に陥ってしまう。最近好きになった髭だって『ねむらない』ばかりを繰り返し聴いている。

ついさっき『ゲッコウとオドリコ』が収録されたアルバム『epoch』がAmazon musicにあると気づいたので、今日からは聴こうと思う。今後の『オンガクミンゾク』では、私が知らない曲をいっぱいやってほしい。それを頼りに聴いていきたい。

Base Ball Bearの“The End”も良かった。あの歌詞で表現された感覚って分かるな。偶然にも以前、似たようなことを書いている。

プロローグからエピローグ、美しい起承転結の先、本を閉じて目をあげれば、編集されないまま続く私の「今」が見える。
2020.7.25. 「2020上半期を振り返る」より

あと、ドラムの堀之内大介がめちゃめちゃにこにこしてて、にこにこしてる人って好き!とあらためて実感する。ほんとに良い、すごく良い、にこにこしてる人。今年は「自分の好きなタイプ」に自分がなるという目標があるので、私も取り急ぎにこにこしていようと思う。


おまけ
所属事務所主催のオンラインフェスで配信されたというDOPING PANDAの“Hi-Fi”を聴き、“Wi-Fi”を「うぃーふぃー」と言い間違えた母のことを思い出す。その後「うぃーふぃー」は家族内の流行語となり、「あれ、うぃーふぃー調子悪い」などとして使用した。

うちの母からすれば、“Hi-Fi”も「ひぃーふぃー」かもしれん。「ひぃーふぃー、かっこいいね!」みたいな。


epoch

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二十九歳

二十九歳