部屋と沈黙

本と生活の記録

無題

大きい地震が起こると、必ず思い出すことがある。

2011年3月11日、私は本屋さんで働いていて、東京の取引先の人と電話で話をしていた。たしか、新刊の追加納品に関することだったと思う。打ち合わせが終わり、さてそろそろ切ろうかな、というところで、相手が不意に「あ、わ、地震が……」と口走った。

「え、大丈夫ですか?」
「……いや、ちょっと、大丈夫じゃなさそうです」

挨拶もそこそこに切れた電話で、相手が「大丈夫じゃなさそう」と言ったのが気になった。いつもならばビジネスライクに体裁を整え「大丈夫」と言いそうなところを、敢えて「大丈夫じゃなさそう」と応えるほどの地震って?

「なんか、東京で地震があったみたいですよ。“大丈夫じゃない”って言ってましたけど……」

その後、ネットニュースで震源地が東北のあたりだということを知った。ただ、文字だけのニュースではあまりピンとこず、地震の多い日本ではいつものことだと、次第に「大丈夫じゃなさそう」の違和感は薄れていった。

その日の勤務は遅番だったから、そのままいつものように仕事を続けた。レジを打ち、本の発注をし、お店のブログを更新し、Twitterへ投稿した。

夜。自宅へ戻り、テレビで津波の映像を見て、ようやく、ことの重大さを知った。

翌日、店長から、私が投稿したツイートに一部非難の声があがっていたと知らされた。こんな大変なときに、よくも呑気に宣伝ができるな、Twitterで連絡を取り合い、行方不明者を必死で探している人もいるのに、ということらしかった。

私が働いていた書店は当時からわりと有名で、お店のアカウントには相当な数のフォロワーがいた。現在のフォロワー数から考えても、2011年の時点で既に3、4万人はいたんじゃないかと思う。そのなかには、東北に住んでいる人、東北に家族がいる人も大勢いただろう。

そのころの私は、Twitterにはまったく関心がなく、投稿の仕方も、ブログを更新し、あるボタンを押せばTwitterにも投稿される、ということしか知らなかった。情報がごちゃごちゃしていて読み方が分からなかったし、どのように使われているのかも知らなかった。

私が謝るより先に、店長は、悪いことをしたわけじゃない、気にする必要はない、こっちでなんとかしたから、と言い、それでも私が「すみません」と言うと、謝らなくていいと早々に話を切り上げた。

暴言ですらない、ただのお知らせでさえ、誰かを傷つけたり、誰かの邪魔をする。そんなこと、今までに一度も考えたことがなかった。自分の認識の甘さや、無知が、確実に誰かを傷つけたという事実に落ち込んでいた。

あれからずいぶん時間がたったけれど、私は今でも、あの行き過ぎた自粛の空気が恐ろしい。私はまた知らないうちに、誰かのことを傷つけてしまうかもしれない。このコロナ禍でもそうだ。たとえば、私がフォローしているアーティストの、ある悪意に対するツイートが、突如としてバズったときのことを思い出す。

そのツイートは、ある人物の悪意を含んだ行為に対して、ことさら糾弾するでもなく、そのときの率直な気持ちを、そのまま書いたような内容だった。だからこそ多くの人にシェアされ、いくつかのコメントも寄せられていた。

コメントを寄せている彼らはもちろん、自身の良心において、そのツイートに賛同していた。ただ、その良心が別のかたちの悪意になっていることに気づいていない人もいるようだった。たとえば「そんな奴は、苦しんで死ねばいい」というような。

良心でさえ、行き過ぎると悪意になり得るんだと心底ぞっとし、こんなコメントを一方的に寄せられて、きっとしんどいだろうな、と思った。

ただのお知らせも、そのときの率直な気持ちも、受け取る側の受け止め方で、かたちが変わってしまうことがある。私も例外ではない。自分の好きなもののあれこれを、好きなように受け止め、好きなように書いている。“私”という偏ったフィルターを通し、歪にしている。

最悪なのは、自分の間違いに気がつかないことだ。それを避けるためにも、いろいろなものを見たい。自分の目で見て、自分の頭で考えることができたら、自分の間違いも見つけられる。