部屋と沈黙

本と生活の記録

ごく素直に

フルカワユタカの『オンガクミンゾク』、第8回のゲストは、忘れらんねえよの柴田隆浩。

f:id:roomandsilence:20210325221127j:plain:w600

口語系(?)のバンド名といえば、やっぱり「水中、それは苦しい」を思い出す。二十歳前後だったか、音楽雑誌でこの字面を見かけて、あまりのセンスに圧倒されたもん。見た瞬間に「負けた」と思った。生きた人間が100人いたら、100人が「ですよね」と言う。共感率100%、それを言葉で名指しするってすごいよ。しかも名前なのに「、」が入ってるし。ほとんど詩だと思う。むき出しの共感と定型への裏切りが、ひとつの言葉に同居している。

その後、ちゃんと聴いたのは手品の歌*1くらいだったけれど、このバンド名だけはずっと覚えている。……いや「水中、それは苦しい」ことを、今もなお「忘れらんねえよ」!


この高鳴りをなんと呼ぶ / 忘れらんねえよ

プロの悪口師を自称しながら、まっすぐな歌が多いのが印象的だった。「今日のセットリストがそうだっただけ」というようなことを言ったかと思えば、MCでは「譲れない正義がある」と言い、めちゃくちゃ安易に共感してしまう。

私にもおそらく似たようなところがある。「正しいかどうかは分からんけど、私はそれを間違っているとは思わない」。10年以上前の日記にも、たしかにそう書いていた。“それ”は言語化してリストアップできるような代物じゃなく、ほとんど条件反射のようなものだった。避けられない。譲ってしまえば楽なのに、どうしてもできない。ともすれば“それ”は欠陥なのかもしれなかった。

正しいのか、間違いなのか、分からないのか、分かっているのか。矛盾を抱えたまま大きくなれば、ひねくれるのは当然で、たとえば前向きなことばかり言う人が歌う前向きな歌を、素直に信じられないときがある。「絆」と言われれば耳が腐る*2。にもかかわらずこの歌は、まっすぐな歌詞が、そのまままっすぐ入ってきて不思議だった。良い曲だと思う。

あと、フルカワユタカも良かった。……なんか飽和してくると褒め言葉すら雑になっていくな。オタクが語彙を失うメカニズムって、こんな感じなのかもしれない。

それにしても、たなしんの圧倒的“弟”感はなんなんだろう。私よりひとつ年上なのに、つい可愛いと思っちゃう。いいなぁ、私もつい可愛いと思われたい。このコロナ禍によって私のなかの何かがぶち壊れたおかげで、今ではごく素直にひねくれている。あと足りないのは「可愛げ」と「やばさ」だ。

*1:“農業、校長、そして手品”。メンバー編成はアコギ、ドラム、そしてヴァイオリン。

*2:禁断の宮殿 / the band apart