部屋と沈黙

本と生活の記録

「ご存知ですか?」

なんだか思うように書けない。

私が知りたいのは「真実」ではなく「事実」だ。真実は人によってかたちを変えるが、事実は変わらない。たとえば精神疾患による幻聴やその苦しみは、当事者にとって真実である。私はその苦しみを否定しない。ただし、その真実は、事実とは異なる。

事実を収集し、検討すべきだ。恣意的なデータに価値はない。Twitterの検索窓に「ワクチン」と打てば「ご存知ですか?」と表示され、厚生労働省ホームページへのリンクがはられている。そのリンク先のデータに不備があったのだから、国はその重みを自覚すべきだ。

係数が変われば、解は変わる。

この不備に関して「元から大したデータではない」とツイートする医師もいた。大したデータかどうかはさておき、この不備には問題点がふたつある。そのうちのひとつは、国が発表するデータの信用性が著しく低下したことだ。彼は気づいていないのだろうか。たとえばイソップの狼少年のことは?ご存知ですか?

まだ材料が一つもないんだ。資料もないうちに、理論づけをやるのはとてつもない誤りだ。知らず知らず、事実を理論に適うようにまげがちになる、理論を事実に適えようとしないでね。
コナン・ドイル『シャーロク・ホウムズの冒険』

情緒的であることは素晴らしい美点となる。でも「大切な人のために」と情緒に訴えかける政府広告には居心地の悪さを覚えた。反対派の言う「真実」も「目覚める」も、赤く連なったエクスクラメーションマークの多用も気持ちが悪かった。

なぜ、感情に訴えかけるのか。推進派も反対派も、過激になればなるほど感情的になる。身体に作用するものの可否を検討するとき、私は感情よりも事実を重視する。「効果が期待されています」「予防ができると考えられています」という言葉では、私が求める「事実」には足りなかった。おそらく、ほとんどの人にとって足りないだろう。それを感情で埋めようとしたのが、あの政府広告だったのではないかと思う。

コロナも、戦争も、終わりが見えない。私は、私の言葉に醜さが表れるのを恐れている。