部屋と沈黙

本と生活の記録

10、9、

ゴールデンウィークが始まった。しがない勤め人にとって、10連休などまさにゴールデン。
とはいえ、大学生のころには夏休みが2か月くらいあったのに、そりゃもう無為に過ごした。今は幻。

初日は午前中に家事を終わらせ、午後は美容院へ行く。おすすめされたスタイリング剤が良さそうだったので購入。髪の毛だけじゃなく、手肌の保湿にも使えるという。ものぐさかつ、かさかさな私にはぴったりだ。

帰りにニトリへ寄って、A1のポスターフレームを買う。

ようやく飾れたムナーリのポスター。

夜はジムで泳ぐ。人が少なくて、一人一レーン状態。ここぞとばかりにバタフライを練習する。不思議なのは、泳げる泳げないに関わらず、バタフライを“習っている”だけで尊敬されることだ。

片付けのBGMにしようと久しぶりにthe band apartの5th『Scent of August』を選んだら、ちょっと動けないほどかっこよくて驚く。発売されたときに聴き倒しているはずなんだけど、こんなに良かったっけ。気になって当時の日記を見返してみたら、東日本大震災の年だった。あのころは色々なものがざわついていた。

Scent of August

Scent of August

2日目は実家の車庫を借りて洗車。ついでに犬の散歩。夜から雨になるらしい。

山口アーツ&クラフツ 2019

先週末は毎年恒例の山口アーツ&クラフツへ行ってきた。振り返れば今年もうつわバカ一代。

濱岡健太郎さんのカップには、サナトリウム的な雰囲気があると思う。隙のない精緻さとフェティッシュな白も相まって、人を拒むかのような印象なのに、不思議と手に馴染む。

奥のグラスは〈ガラス工房◯(マル)〉の岩国れんこん硝子。岩国れんこんの灰をガラスに混ぜると、こんなにも美しい若緑色になるという。

初日の10:30頃には到着したのに、〈ユーカリとタイヨウ〉の焼き菓子はほとんど残っていなかった。残念。

『インヒアレント・ヴァイス』/卵はそれを避けることができない

15時、『インヒアレント・ヴァイス』を観る。常温の本麒麟が回ったのか、眠気に負けて一時停止。深刻そうな顔のホアキン・フェニックスがこちらをじっと見ている。髭の生え方が山田孝之と一緒だ。

トマス・ピンチョンの原作をポール・トーマス・アンダーソンが映画化した本作。邦訳された『LAヴァイス』を読んだとき、「目で見られたらいっぱつなのに」と書いたけれど、目で見てもさっぱりだった。

2月16日(日)晴れ
LAヴァイス』を読む。ピンチョンの著書の中では読みやすいとされている作品みたいだけど、かなり混乱した。人物図をつけながら読むべきだったのにそうしなかったから、誰が誰だかよく分からないことも多かった。ひとつひとつ、物を並べる作家で、映像的というか、ほんとにこと細かく描写してあって、目で見られたらいっぱつなのに言葉だから反乱を起こす。本筋は読めてると思うけど……。一人ひとりの〈悪意〉が独り歩きして、いつのまにか〈悪意〉そのものにあやつられている。ものすごく見当違いなこと言ってるかも。


映画の終盤、自宅のドアを蹴破って入ってきた〈ビッグフット〉とのやりとりで、ドックが泣いていたのが印象的だったな。「でも“番人”がついてないと」って。臭くてヨレヨレのヤク中探偵だけど、いちばんピュアなのはドックなんだって分かる。〈悪意〉に飲み込まれてしまわないように、いつも“誰か”のために行動する。

卵は割れる、チョコレートは溶ける。あらゆるものに〈インヒアレント・ヴァイス〉=〈内なる欠陥〉があって、卵はそれを避けることができない。〈内なる欠陥〉によって壊れてしまう人たちもまた、自らが壊れていくのをただ見ていることしかできないのかもしれない。コーイとホープを救ったドックになら、卵をゆで卵くらいにすることはできるだろう。しかし、〈内なる欠陥〉のどうしようもなさは、それこそ、すぐ近くにいるのに泣きながら見ていることしかできないほどのどうしようもなさで、それがすごく寂しい。

本作では〈語り〉の存在感も強かった。市川準監督の『トニー滝谷』ほどではないけれど、〈語り〉が原作の一節をただ朗読しているような印象を受ける。村上春樹にせよピンチョンにせよ、語られる言葉に強い力があるとき、その言葉の外に出ることは、とても難しいことなのかもしれない。