部屋と沈黙

本と生活の記録

ブログ福袋2019

年末の挨拶をする前に年を越してしまった。あけましておめでとうございます。毎年の恒例になりつつあるブログ福袋だけど、このたびは目ぼしいメモがほとんど残っていない。

70代くらいのおばあちゃん
タピオカミルクティー

田舎のショッピングモールにもタピオカの波が押し寄せてきたときのメモ。70代くらいのおばあちゃんがひとり、フードコートでタピオカミルクティーを飲んでいた。いくつになっても新しいものに目を向けられる人生は素敵だなと思う。

猫は1日中寝ていても可愛いけれど、人間は可愛くない。赤ちゃんは可愛い。

寝過ごしてしまった休日に対する後悔。赤ちゃんは可愛い。

イルカの大多数は右利き

ニュースサイトで見かけて。私はイルカとお揃いだった。似たようなので「ゴリラはB型」があるけど、私はB型じゃないからな……。右利きでB型の人は、イルカともゴリラともお揃いということになる!

2019年には、おめでたいこともあったし、そうでないこともあった。「哀しい」にも「悲しい」にもそぐわない「かなしい」ような気分、「死んだら死にっぱなし」という事実。去年結婚した弟は、体重が13キロも増えたという。幸せ太りなんてすごく幸せだと思う。
ライブにも行ったし、観劇もした。自宅にインターネットを引いたおかげで、定期的にブログを更新するようにもなった。

2020年は、あらためて「移動」の年にしたい。とりあえず行く。観る、聴く、書く。どうせなら、タピオカミルクティーを飲む人生、飛行機に乗る人生にしたい。「底知れなさ」に「色気」が、「ちぐはぐさ」に「可愛さ」があるなら、「移動」のなかには「物語」があるはずだ。

……ん?

てことは、婚活パーティーにもとりあえず行ってみたほうがいいのか?物語が始まっちゃうかもしんないってこと!?……うーん、でもまあ、あれだけうだうだ言いながら婚活パーティーに行ってぽろっと結婚したら笑えるし、悪くない。むしろ幸せ。


おまけ

Siriに今年の抱負を聞いてみた。めちゃめちゃかっこいい。


今週のお題「2020年の抱負」

週報 12/23〜12/29

12/23(月)
ワインのコルクの次はピクルスの蓋かよ……。開かない、ピクルスの瓶の蓋が開かない!
まずはゴムを試し、次に熱湯を試したものの、まあびくともしねえ。あとはGoogle先生に聞くしかないとお伺いを立てると、マイナスドライバーで開ける方法があるという。
なんでも、瓶と蓋の隙間にマイナスドライバーを差し込み、てこの原理で蓋を少し持ち上げれば、瓶の内部に空気が入り、蓋が簡単に回るという。
マイナスドライバーをフォークの柄で代用し、さっそくやってみると、今までの苦労が嘘みたいにするっと開いた。
少し賢くなるごとに、人は一人で生きていけるようになる。私はこれからも少しずつ賢くなって、一人でも生きていけるようになってしまう。
だからこそ、一人でも生きていけるからこそ、それでも一緒に生きていきたいと思えるのが良いんじゃんと思う。賢くなるのをやめたくはない。


12/24(火)
書面を作成するたびに今日がクリスマス・イブだということを思い出す。このところ仕事に忙殺されており、少しでもクリスマスの楽しい気分を味わおうと、コンビニに寄ってケーキを買うことにした。
「チーズケーキ!?」
店員さんの声が店内に響く。デザートコーナーには数種類のケーキが並び、店員さんの後ろにはポケットの小銭をジャラジャラ数えながら俯いているおじいちゃんがいた。
「これがいいやん、ね、ひとつはチーズケーキやけ、おばあちゃん(おそらく奥さん)と食べり」
2種類のケーキがセットになった商品を店員さんが選ぶと、おじいちゃんは「(お金)数えてね」と照れくさそうに笑いながら、レジへ向かった。
まじで、まじでみんなが幸せになればいい。頼むから。
自宅に戻り、かつて勤めていた職場でダビング(死語)してもらったクリスマス・アルバムを聴きながら飲む。



12/25(水)

イブの夜に食べきれなかったケーキを朝ごはんとして食べるまでがクリスマス。


12/26(木)
明日は事務所大掃除なので、今日が実質的な仕事納め。日々の業務をこなしながら、「週にひとつやれば上出来」くらいの仕事を4つ片付け、死ぬ思いだった。
昨日、一昨日と渋滞していたケンタッキーは閑古鳥。一瞬、日本のクリスマスのために大量の鶏が殺された、という暗い事実が頭をかすめ、ぞっとする。本当に疲れている。
私は菜食主義者でもなんでもなく、隙あらば「肉を食わせろ」と主張しているのだが、中二病を患っていた女子中学生のときに、家族の汚れた食器を通して「人間は野蛮だ」と気付き、打ちのめされてしまった……3日くらい。というのも、当時は怒涛の成長期で、食べても食べてもお腹が空き、自分の命のためには野蛮であることを受け入れるしかなかったのだ。
人間は野蛮だ。殺して食べて、繰り返し。「白く清潔なトレーに並べられたのは切り取られた死」みたいな邪気眼系ポエムも書いた覚えがある……。
とはいえ、生きている限り自分自身が野蛮であることに変わりはないだろうと、30代になった今でも思う。だからこそ、野蛮であることに責任を持つ。必要なものを必要なだけ、ありがたくいただく。


12/27(金)
事務所大掃除。私が主に担当したのはデータ整理で、今年のエクセル表をもとに来年分を作成するよう指示されたのだが、いっそのこと来年も再来年も使える原本を作ったほうが効率的である。
「これ、原本ないですか?……ない、じゃあ作りましょうよ、再来年からコピペですむし、ラクですよ〜!作りましょうよ、作りますね!」
枠だけが立て付けてあるところには数式を入れなおし、「原本(年末に見てね!)」フォルダを作る。いかにも真面目風だが、私が仕事をする上で効率にこだわるのは、私が極度の怠け者で面倒くさがりやだからである。とにかく早く家に帰りたい。その一心で、最小限の作業から最大限を得ようとしている。ちなみにフォルダタイトルの(年末に見てね!)は、再来年末には原本を作ったことなどすっかり忘れているだろうからだ。
頑張ったご褒美に本屋さんへ寄り、文庫本2冊とコミック2冊を買う。


12/28(土)
もう今日は何もせん!気合いを入れて引きこもる。
ザゼンのライブレポートをまとめたほかは、ミステリを読むか寝るかしていた。空腹をパンとリッツクラッカーでしのぐ。


12/29(日)
あまりにもお腹が空き、ど甘いジュースをガブ飲みしたくなったので、近所のスーパーまで出かけていく。
ドキュメント72時間ねほりんぱほりんなど、年末特番のために録画データの整理をする。見ないまま消してしまった番組も多い。来年は読むにしても見るにしても、意識的に時間を設けないとな。どうも個人的なことになると、効率的にできない。これこそ怠け者たる所以である。
じゃあ普段何やってんのかと考えると、生活(料理、片付け、掃除、洗濯)してるか、泳いでるか、お酒を飲みながら音楽を聴き、あることないこと考えながら文章を書いている。今みたいに。
明日から頑張ります。

ZAZEN BOYSツアーMATSURI SESSION 感想

NUMBER GIRLが解散したあともNUMBER GIRLに夢中だったがために、ZAZEN BOYSのことは「向井秀徳NUMBER GIRLの後に始めたバンド」という認識しかなく、たまに思い出してはyoutubeで聴いたり、アルバムを買ったりするくらいだった(持っているのは、なぜか“3”と“すとーりーず”)。ヘンテコなのにストイックな佇まいが印象的で、そのたびに「やっぱり向井秀徳はかっこいいな」と思いを新たにするものの、NUMBER GIRLの音楽ほど私の生活に根付くことはなかった。

2019.12.6 Fri.
福岡DRUM LOGOS

警固公園通りからドラムロゴスへ。お昼に降った雨のせいで思いのほか冷え込み、吐く息は白い。パーカーに薄手のダウンという格好で、寒さから早足になっていた私の横を、救急車がサイレンを鳴らしながら追い抜いて行く。不穏な空気。

2日前に大阪BIG CATで行われたライブでの様子から、Twitterにはカシオメンの体調を心配するコメントがいくつも投稿されていた。なかにはライブの出来に落胆するコメントもあり、ここ数日の“#zazenboys”には不穏な空気が漂っていた。

スマートフォンを取り出し、今朝からずっとそうしているように、Matsuri Studioのタイムラインを更新する。「公演中止」のアナウンスがないと分かっても、安心はできなかった。

18:30、開場時間を過ぎた会場前は閑散としている。並ばずに入場し、ドリンクカウンターでビールを受け取る。銘柄はアサヒスーパードライ(たぶん)。ドリンク代は500円で、アルコールの場合はプラス100円を支払う。
数日前まで晩酌を控えていたせいか、ビールでも良い感じに酔いが回る。とはいえ、1杯では持続力に難ありで、なんとか維持しようと“酔い”に集中することにした。酔っ払いながら好きな音楽を聴くのは気持ちがいい。開演時間が迫るにつれて、会場は人であふれていく。

ZAZEN BOYSのライブを観るのはこれが初めてだったから、これから書くことは憶測でしかない。冒頭にも書いたとおり、ZAZEN BOYSに対しては、ヘンテコかつストイックな印象を持っていた。唯一無二の「ある一点」を目指して収束していく殺伐としたビート。あるいは「いかに向井秀徳を満足させるか」に神経を尖らせているような。

MIYAの加入なのか、カシオメンの不調なのか、理由は分からないけれど、今回の福岡において、そういうピリピリした雰囲気は感じられなかった。

椅子に座った状態のカシオメンを一喝し、ブルースを弾くよう促す向井秀徳(鬼)。ただ、そこに殺伐さはなかった。ひりつくほど生身の、剥き出しの音楽だった。地鳴りのようなドラムとベース。ポテサラが食いてえ、猫の交尾がうるせえなどと叫びながら、突然、不在や過ぎ去った日のことを歌い始める。ほとんど文学だ。その上で、かっこつけるところはきちんとかっこつけるんだから、それが本当に、恐ろしくかっこいい。

高校生だった私がNUMBER GIRLに惹かれたのも、向井秀徳が持っているこのセンチメンタルな衝動のせいだと、今なら分かる。「記憶を消して」「忘れてしまった」と、取り憑かれたように繰り返す“性的少女”。

本公演アンコールのラスト、“破裂音の朝”の鬼気迫る感じは忘れられない。
その中心にいるのは、頼もしい親玉としての向井秀徳だった。

それは10年前の それは100年前の
1万年前の俺たち

「美人は3日で飽きる」というのは嘘だ。美人な友人は会うたびに美人だし、ストイックなほど美しく整ったものは見ていて飽きない。でも、それと同等か、もしくはそれ以上に、情念、感傷的な衝動、ままならなさに類する歪さに惹かれてしまうのだ。