部屋と沈黙

本と生活の記録

私の装い

「……やばいおばさんに見えん?」

なんとなく、自分のことを「おばさん」とは言わないようにしている。年齢を理由に自分を低く見積もっても良いことなんてないし、なにより、私が私を「おばさん」と見なせば、私と同い年、もしくはそれ以上の年齢の女性を「おばさん」と見なすことになりかねん。

甥っ子らには、名前にちゃん付けで呼ぶよう言い聞かせている。もっとも、“伯母”だから「伯母さん」ではあるのだが、できることならいつまでも「○○○ちゃん」がいい。ジャニーズの子らが先輩をくん付けで呼ぶの、なんか良いなって思うし。

それなのに、先日、母と洋服を選びながら、つい言ってしまった。

「……やばいおばさんに見えん?」

いくつか試着したワンピースのうち、母のおすすめは、黒のノースリーブニットに薄ピンク色のシフォン素材が細かく段になって膝下まで届く一着だった。

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写真がないからイラストで……

たしかに、トップのノースリーブニットが身体にすんなりフィットしてきれいに見えたけれど、私をもっと夢中にさせたのは、ロマンティックなバルーンスリーブのワンピースだった。

そもそも以前は、どちらかといえばシンプルでベーシックなパンツスタイルを好んでいた。今でいう“ノームコア”だろうか。それが20代後半になって、ふと「世の中にはきれいな色がたくさんあるのに、なんで私はわざわざ地味な色の洋服ばっかり着ているんだろう」と不思議に思ったのだ。

同じころ、思い切って購入したマーガレット・ハウエルのスカートも転機になった。マーガレット・ハウエルといえば、まさしくシンプルでベーシックなイメージのブランドだと思う。そのスカートは、ベーシックながらも本当にきれいな色をしていた。

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7、8年経った今もたまに着るこのスカートが、いろいろなことを教えてくれた。値の張る洋服は縫製が丁寧で、ラインやシルエットのきれいなものが多いこと。とはいえ、サイズが合わなければすべてが台無しになること。普段の自分のイメージなんて気にせず、きれいな色、好きな色を着ていいということ。

高いものには良いものが多いけれど、じゃあ高いものを着ていれば良いかというと、そうじゃない。デザイナーが意図した美しいシルエットを保つという意味で、サイズ感がなによりも大切だと思う。これはブランドものでもファストファッションでもかわらない。

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今では考えられないけれど、くだんのスカートは通販で購入したために試着をしておらず、サイズⅠでもウエストが少し大きい。薄手のトップスをタックインして着ると、どうしても腰に落ちてきて、ややもったりしてしまう。

とにかく試着、試着、試着だ。試着をしまくっていると、だんだん自分に似合うものが分かってくる。私の体型には良い部分も悪い部分もあるから、良い部分を引き立たせて、悪い部分をカバーするようなものを選んでいくと、どうやらフェミニン系がいちばんしっくりくるようだった。むしろパンツスタイルが似合わない。長いこと抱いていた自分自身に対するイメージさえ、思い込みだった。

おそらく、幼いころから“可愛い担当”は妹だと思っていたからだろう。私の妹は、姉である私から見ても、可愛らしい顔立ちをしていた。よくあるじゃん、女優さんとかお笑い芸人とかで、妹のほうが可愛いとか、弟のほうがかっこいいとか。そんな感じ。ていうか、私は弟にそっくりなのよ!

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“弟に激似担当”の私も、今では花柄を着るし、いろいろな色のスカートを持っている。それでもたまに思う。「私なんかがこんなに可愛い洋服を着ていいんだろうか」。顔のつくりやスタイルに特別の才能があるわけでもない。

でも、洋服が好きだ。

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やっぱ可愛いな〜。メーカーのウェブサイトではミントグリーンと書かれていたけれど、グリーンというよりは水色に近い感じ。シルバーのアクセサリーがよく合う。年齢的に可愛すぎるかもと思い「やばいおばさん」発言をしつつも、結局は買ってしまった。いずれにせよ、未来と比べれば今がいちばん若い。胸がどきどきするほうを選んで、いつか可愛いおばあちゃんになろう。

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杉浦さやか『おしゃれの教科書 女の子のための映画スタイルブック』より
映画とファッションが好きな人におすすめのイラストブック。可愛い!!!

いいな、と思ったらとにかく着てみる。フェミニン一辺倒ではつまらないから、自分に似合うかっこいいパンツスタイルも必死で探す。イメージに縛られないほうが、洋服は楽しい。洋服を着替えるように、イメージを着替える。そうすれば、可愛くもかっこよくもなれるかもしれない。

「お洒落しようがしまいが結局は顔」みたいな呪いの言葉には耳を貸すな。なんで他者と比較されて、不相応のレッテルをはられなきゃならんのか。比べるなら「お洒落しない私」と「お洒落する私」を比べろよ。私は後者を選ぶ。

ただ「若いころの私」と「今の私」を比べはじめると……うーんやっぱり、やばいおばさんに見える?

軟弱者の健康

先週土曜日の深夜から体調を崩し、一時入院していた。幸い大事には至らず退院し、今後の通院も必要ないくらいに回復したのだが、入院中の「あれがない」「これがない」を経て、今、ようやく「完璧な持ちものリスト」を作ることができるかもしれない。

いい加減、旅行前に最適な汎用性のある持ちものリストを作らなければ。まともなリストさえあれば、どんなに疲れていようと半分寝ながら荷造りできる。
以前リスト化に挑戦したときは「これで本当に充分なんだろうか」という不安感から、末尾に「その他」と付け加え、すべておじゃんにしてしまった。「その他」ってなんだよ。
村上春樹が「完璧な文章などといったものは存在しない」と教えてくれたように、完璧な持ちものリストなど存在しない。「その他」という謎の幅を持たせて、ようやく完璧に近づく。
2019.12.8「週報 12/2〜12/8」より

リストを完成させ、事前にパッキングしておけば、旅行前の荷造りはもちろん、入院するときや、災害時の非常持出袋にも応用できるだろう。市から配布されたハザードマップの裏のチェックリストと、病院でもらったしおりを見比べながら、今がそのときと思う。

ちなみに、持ち込んでよかったな、と心底思ったのは、意外なことにクッションだった。入院中はあまり眠れないと聞いていたけれど、かなり消耗していたため、ほとんどの時間を寝て過ごした。寝過ぎて身体が痛くなれば腰にあててみたり、なにより、抱えていると安心した。さながら、もらわれてきた子犬である。

入院や災害によって、もらわれてきた子犬並みに環境が変化したとき、ものに対するこだわりが強い私のような軟弱者は、日常の匂いが染み込んだものや、普段から好きで使い続けているものが近くにないと、そのうち壊れてしまうだろう。もちろん、間に合わせで間に合わせることもできなくはない。ただ、そういうちょっとしたズレが積み重なれば、いつかバランスを失い、すべてを巻き込んで駄目になってしまう。

たとえば良い匂いのする石鹸、スキンケア用品その他もろもろ、ちくちくしない肌着、好きでずっと使っているクッション、ブランケット。突然の非日常で大きなストレスを抱えているときこそ、できる限りの日常を持ち込みたい。ライナスの安心毛布のように、取るに足らない日用品でさえ、私を大きく支えている。

心当たりのあるすべての軟弱者は、新品の非常持出袋や入院セットに、愛着のあるくたびれた日常を入れておくといいかもしれない。

過去が光って見えるのは

きのうは晩ごはんのあとにうっかり寝入ってしまい、目が覚めたのは深夜の12時過ぎだった。食器を洗い、シャワーを浴び、バニラアイスを食べてAmazonで買い物をし、プライム・ビデオのウォッチリストにいくつかのドラマ、アニメ、映画を追加して、うれしいような、途方もないような気持ちになった。

先週はなんだかあっというまに散った桜のこととか、「このところ元気がない」と聞いていた実家の犬を撫でると肋骨が指先で数えられそうなほどだったこととか、久しぶりに仕事で腹を立て、とはいえ自分にも至らない部分があったことに気づいて落ち込んだ。結局“急な方針変更”は撤回されたものの、私がもっとうまくやっていれば、その問題点の再燃が前倒しされ、検討に時間をかけられたかもしれない。

過去を振り返らずにはいられない。落ち込んだことも、楽しかったことも。過去の記憶は存在かもしれないから、思い出したい。自分の至らなさに気づきたい。知らないでいることのほうがおそろしかった。

でもとりあえずは元気を出そう。食べることと寝ることを優先して、うまく落ち込むのだ。

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月曜日。なめ茸入りの筍ごはんを土鍋で炊く。右手にちらっと写っているのは、妹の夫の友人が釣ったアジ。新鮮な魚は美味しい。

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火曜日はASPARAGUSの配信ライブのアーカイブを観ながら、アスパラガスの豚バラ巻きを食べた。いつか絶対にライブへ行くという思いを新たにする。このことはまた別に書いておきたい。本当にかっこよかった。

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水曜日と木曜日は市販のルーで作ったガパオライスの前後編。手抜きと本気。きのうと今日で同じものを食べるなんて、という人もいるみたいだけれど、私はあまり気にならない。好きなものならなんぼでも食う。目玉焼きを丸くするため、アルミホイルでなんちゃってセルクルを作ってみたものの、失敗。

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付け合わせのポテトサラダはすごく簡単。作るのに10分もかからない。じゃがいもを電子レンジで蒸しているあいだに玉ねぎをスライスし、あつあつのじゃがいもに気をつけながら皮をむいて、スプーンの背で簡単につぶし、イタリアンドレッシング、塩、黒胡椒、ハーブミックス、マヨネーズ、スライスした玉ねぎを入れて混ぜるだけ。保存容器のなかでやっちゃえば洗いものも少なくてすむ。

向井秀徳が「酒場に入ってボールにいっぱいのポテトサラダを注文してえ」と歌ったように、お酒のアテにぴったり。

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金曜日は、ガス代を支払うために立ち寄ったコンビニのバターチキンカレー。買ったまましばらく戸棚のなかで眠っていたオリーブの瓶を開ける。

美味しいものは好きだけれど、料理が好きかと問われるとそうでもない。今日の晩ごはんも、プレモルの6缶パックについていた金箔入りの焼き鳥の缶詰に、焼いた長ネギを和えてみただけだ。以前、同じものを食べたときに結構塩辛かったから、ちょうどいいかなと思って。長ネギはもっと焼けばよかったし、冷蔵庫にあったチューブのレモンペーストを調子にのって入れすぎたせいで、すこし酸っぱかった。酸っぱいものは苦手だ。

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あらためて、本日午前3時半。お腹が空いてきたから無理矢理にでも眠ろうと布団のなかにもぐり込み、なんとなくTwitterで見かけたポカリスエットの新CMを眺めていたら、なんだか泣きそうになった。

すぐに柚木麻子の『終点のあの子』を思い出す。本棚の部屋の本棚に入りきらない本の山から文庫本を引っ張り出して布団に引き返し「フォーゲットミー、ノットブルー」から読み始めた。最終話の「オイスターベイビー」を読み終えたときには、閉め切ったカーテンの四方から朝日が入り込み、枕元のスタンドライトの電球色が頼りなく思えた。

もう一度CMを見返して、やっぱり泣いてしまう。朝っぱらから鼻も瞼も赤い。

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『終点のあの子』には、“その手を離してしまった”女の子たちのことも描かれる。急行片瀬江ノ島行き、まだ青いブナの実。女の子は複雑で、面倒くさくて、寂しくて、可愛いなと思う。私がとくに好きなのは「ふたりでいるのに無言で読書」。

恭子さんは、分析なんてしない。知識もひけらかさない。単に好きか嫌いかを明言する。そこが好きだ。
柚木麻子「ふたりでいるのに無言で読書」より

コマーシャルではなく小説だから、爽やかさばかりではないけれど、このCMが好きな人は好きかもしれない。複雑で、面倒くさくて、寂しくて、可愛い、ガール・ミーツ・ガール小説だと思う。

それにしても、初出は2008年だから、折りたたみ式の携帯電話は「カチカチカチカチうるさい」し、KAT-TUNに赤西君はいないし、チャットモンチーは解散した。“きっともう取り戻せない”ものはきっともう取り戻せないから、光って見えるのかもしれない。

終点のあの子 (文春文庫)

終点のあの子 (文春文庫)