部屋と沈黙

本と生活の記録

外気温1度

たとえば深い井戸の底にいて、周囲の壁がでこぼこしているのならば、とりあえず手をかけ足をつっ張り登ってみようとするだろうけれど、もし、その壁がつるつるで、一筋の溝すら見つけられなかったとしたら、まず登ってみようなどとは思わないだろう。

年明けからしばらく、私の毎日は終始そんな感じだった。なんのとっかかりもなく、波風も立たず、暖簾に腕押し、気が抜けたまま仕事を進め、テキトーに食べ、眠った。

もしこれが村上春樹の小説に出てくる主人公であれば、“壁抜け”を試みるだろう。彼らは「やれやれ」と言いこそすれ、今の私よりもずっとやる気があるのだ。偉いなぁと思う。今年の目標云々を考えてみても「…………保湿……?」としか思い浮かばない。形而上でも形而下でも乾き切っている。

ドラッグストアへ歯ブラシを買いに行くついでに、基礎化粧品コーナーをうろついていたら、店員さんに声をかけられた。

「何かお探しですか?」
「いや、あの、肌がもうかっさかさで、美容液みたいなものを探しているんですけど、やっぱり高いなぁと思って……」

思春期を含め大した肌トラブルもなく、30代半ばの今も化粧水1,000円、乳液1,000円で、たまに1枚60円のシートマスクで補う程度だった。だから、ドラッグストアに並んでいる6,000円くらいの美容液ですら高いと思うし、使い方さえ知らず、化粧水と乳液のあいだにはさむ(!)こととか*1、化粧水の前に使う導入美容液なるものまであることも知らなかった。

手の甲で試しながら色々教えてもらい、サンプルを2ついただいて帰る。自宅で手を洗いながら、これほどまで洗い流すのが惜しいと思ったことはないなと、ぼんやり考えていた。

ともあれ形而下での保湿問題は片付きそうである。あとは、2020年を振り返って目標なりなんなりを……と思うのだが、依然、茫漠としている。振り返ってみても、今見えている景色と何ら変わりない。きのうも、きょうも、あしたさえも、同じ。

私はおそらく、自分で考えているよりずっと、この状況に参っているのだろう。なんとなく息がしづらいのは、ストレスなのか感染症なのか。夜、マスクをつけずに外へ出て、外気温1度の空気を深く吸ったとき、その冷たさでようやく息をしていると実感する。吸う、吐く、吸う。

ちょっとずつ。ちょっとずつで、まぁ、いいや。みんな、がんばろうね。私もがんばります。

*1:最後の仕上げに使うものだと思っていた

取り急ぎ、推す

2020年が終わり、2021年が始まった。

みそかは、実家で嵐のラストコンサート“THIS IS ARASHI*1”を観た。最新グッズのTシャツを着た嵐ファンの母は、コンサートのさなかに何度もため息をつき、最後のあいさつを聞きながら泣いていた。

終演後、母にファンクラブ会員限定の紙チケットと、サプライズで封入されていた銀テープを見せてもらう。チケットには母の名前入り。ちなみに銀テープとは、パーティクラッカーの中から出てくる賑やかしの紙ひもを大きくしたようなキラキラのテープで、ライブ後にギタリストが投げるピック、金のエンゼル(銀でも可)、野球ならばホームランボール、とでも言えば伝わるだろうか。ともかく、コンサートの嬉しいおまけみたいなアイテムなのだ。

なんだかおもしろいな、と思う。紙チケットや銀テープがなくったって、配信コンサートはできる。世の中がどんどんかたちのないほうへ向かっても、持たない暮らしがもてはやされても、物は、具体的に人を支える。気持ちを込めることができる。母はとても嬉しそうだった。

聴き覚えのない曲が多かったけれど、“Turning Up”とか“SHOW TIME”は良い曲だと思うな。

配信コンサートのあとは、毎年恒例のジャニーズカウントダウン。私は「年末にマリウスを見守る会」の会長なので、今年はとても寂しかった。見守りたい。そして、決意する。会長たるもの、マリウスが戻ってくる日のために、年末だけでなく年間を通してSexy Zoneを推す、と。

好きなものはたくさんあれど、私が心の底から本気で推しているのは甥っ子と姪っ子だけである。もし、オタク気質に憧れがあるなら、かたちから入ってみようぜ。言うなれば、取り急ぎ、推す。かるくググっただけで、なんかもういろいろあったグループなんだな、ということが分かる。それでも、推す。推して推して推しまくり、年末にマリウスを見守るのだ。

手始めに、Amazonで4月始まりのオフィシャルカレンダーを予約してみた。あ、そうそうSexy Zone、“xy”は赤。……うーん、どうしよう。届く前から戸惑っている。

私の身の回りにあるものは、そのほとんどが一軍だ。洗剤のような消耗品から、ヴィンテージのカップまで、ほしいと思うものを選んできた。いらないものは、いらない。そこに、まだ一軍とは言えないカレンダーが掛かるのか……。

私にとっては居心地が良くても、他の誰かにとっては窮屈かもしれない。気づかないうちに、自分で自分をがんじがらめにしているのかもしれない。

だからこそ推す。自分らしくないこともしてみたい。1年後、何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。それとも途中で飽きるのか?

……2020年を振り返るつもりが、なんだか変な目標を立ててしまった。もうちょっと真面目なやつは後日書こうかな。取り急ぎ、報告まで。

*1:私にとって“THIS IS”といえば“向井秀徳”である。

形容したい

渡邊忍がかっこいい。かっこよすぎる。アコースティックライブはもうむちゃくちゃ良かったし、そもそも、ああいうふうに顔全体で笑う人が好きだ。有り体に言えば、ものすごく好きなタイプの顔が、ものすごくかっこいい音楽をやっていて、口を開けばおもしろい、っていう。すごくない?かっこよさが渋滞している。

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フルカワユタカの『オンガクミンゾク』、第5回のゲストはASPARAGUSのボーカル&ギター、渡邊忍。このASPARAGUSも、the band apartDOPING PANDAと同様、ディズニーのトリビュート・アルバム“DIVE INTO DISNEY”に参加していたバンドだ。

なんかさ、しみじみ「良いの引いたよね」と思う。よくもまあ聴こうと思ったよ。18か19のころにレンタルショップの店頭で見かけて、参加しているバンドはただのひとつも聴いたことがなかったのに、ともあれディズニーなら退屈はしないだろうっていう、それだけの理由だった。

それが今や、バンアパはその頃からのファンだし、フルカワユタカも聴くようになって、渡邊忍はかっこいいし、退屈どころではない。何かのついでくらいに選んだものが、今に続く根っこのひとつになっている。

ライブ中に聞き取れた英単語からASPARAGUSの“I’m off now”を見つけ、アコースティックのコンピレーション・アルバムに“IN DESERT”で参加したというページにも辿り着いた。Amazon musicでは“KAPPA Ⅱ”が公開されている。“BY MY SIDE”とか“ENDING”とかも好きだなぁ。もっと聴きたい。ライブにも行ってみたい。

ちなみに、渡邊忍のハードな女性ファンのことを“くノ一”と呼ぶらしい。ハードになればなるほど“くノニ”、“くノ三”と数字が増え、“くノ十”になると、ハードすぎて敵になるそうだ。ハードな男性ファンは“忍たま金太郎”。これも増える。“忍たま金二郎”、“忍たま金三郎”……。なお、ASPARAGUSのハードなファンは“パラァ”。“PARAR”、だろうか。

なんだかもう“くノ一”くらいにはなっていそうな気がして戸惑っている。

もともとオタク気質じゃないのよ。いろんなことをいっぱい知りたいほうだから、ひとつのことを深く知ろうとするオタク気質に憧れがある。17、8年聴き続けているバンアパですら“万年にわか”のライトファンなのに、何が私をそうさせたのか。

形容したい。私には「自分の好きなタイプに自分がなる」という野望がある。だからこそ、その好きを形容したい。形容すれば、好きが見える。目印にできる。自分自身と一緒にいるだけで、自分の好きなタイプと毎日一緒にいられるなんて、ものすごくコスパがいいでしょ。

渡邊忍を真似てパーカーのひもを蝶結びにしてみる。てらいがない、嫌味がない、テキトーと適当が同居している。「良いこと言いたいな〜」と思案したあとで「夢、叶う。きっと、叶う。……よし」と笑う。テキトーなこと言うなぁと笑っちゃうんだけど、不思議と、本当に叶いそうな気持ちにさせる人だ。

それはきっと、その言葉が本当の言葉だからだと思う。渡邊忍は本当の言葉で話す人だ。小学生レベルの下ネタも、ヨード卵という高級な卵のことも、おそらくすべて本気で言っている。テキトーにも適当にも本気だから本当になる。

私もそうでありたい。テキトーにも適当にも本気でありたい。本当の言葉で話したい。本当の言葉で書いて、私なりの本当の言葉を見つけたい。

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あと、顔。こういうふうに笑う人、ほんとに好き。曲もかっこいいし……まじで渋滞してる。