部屋と沈黙

本と生活の記録

働かないアリのリスクヘッジ

やはり、言論の揺り戻しがあった。いくつもの綻びから、さまざまな愚かさが見える。それを指摘しあう人々。なんだかとても疲れた。深く考えれば考えるほど、自らの内にも存在するであろう綻びを見つめざるを得ない。美しい祈りや願いだけを掲げていられたらどんなに良いだろう。無関係でいられたら。美しい反戦など存在しないのかもしれない。

「芸術と政治、それぞれの反戦*1」は、あのときの自分なりに一生懸命書いたものだが、その後、本当にこれで良いのか分からなくなり、ひと通り落ち込んだ。ただ今日になって、このあいだ図書館で借りてきた本を3分の1まで読み、私がやりたいと思っている表現の方向性は間違っていない、とも思えた。己のなかの愚かさをも見つめること。私はそういう人やそういう表現に惹かれる。

とはいえ、そんな自分と一緒にいるのがしんどいときもある。そらそうだ。己の愚かさなど知りたくない。見たくない。でも、そこを通らないと見えないものがあるのだとしたら。

これからも楽しいことやくだらないことをたくさん書きたいと思っているけれど、たまにはしんどいことも書くと思う。そのときはもちろん読まなくてもいいよ。みんながみんな同じ気持ちになる必要はない。「働かないアリのリスクヘッジ」だよ。

アリの群れには、8割の“働きアリ”と、2割の“働かないアリ”がいる。その“働かないアリ”を取り除けば、群れには“働きアリ”しかいなくなるはずなのに、試しに取り除いてみても、やっぱり“働かないアリ”が2割、いつのまにか出現しているらしい。私はこれを「働かないアリのリスクヘッジ」と勝手に呼んでいる。つまり、全滅を防ぐ、みたいなことだ。ぼんやりしているほうが死ぬかもしれないし、ぼんやりしているほうが生き残るかもしれない。アリの群れを応用すれば、きっと“私”の全滅も防ぐことができるだろう。

これを考えるとき、いつも星野源の『ばらばら』も思い出す。

世界は ひとつじゃない
ああ そのまま ばらばらのまま
世界は ひとつになれない
そのまま どこかにいこう
星野源『ばらばら』より

とても良い歌だと思う。好きな歌。“ばらばら”のまま、一緒にいられると良い。

*1: