文学は人を選ぶのだろうか?
「芥川賞なんてくだらない」みたいなことを投稿してる皆さん、安心して下さい、あなたがたは文学から選ばれてませんから。
豊崎由美
「芥川賞」で検索して、安堂ホセ氏への授賞に怒って「芥川賞なんてくだらない」みたいなことを投稿してる皆さん、安心して下さい、あなたがたは文学から選ばれてませんから。どうか、文学のない世界で頭の悪い愛国精神を発揮なさっていて下さい。
— 豊崎由美@とんちゃん (@toyozakishatyou) 2025年1月16日
あと批判する際は読んでから、ね……あ、読めないか。
書評家の豊崎由美によると、豊崎由美自身や安堂ホセは「文学から選ばれた人間」だということになるけれども、そもそも文学は誰かを選んだりするのだろうか?
選ばないような気がするけどな〜。とはいえ「文学は皆に開かれている!受け入れてくれる!(曇りなき眼!)」という感じでもない。
文学は選ばない。誰のことも、等しく選ばない。豊崎由美も安堂ホセもおれもお前も、みーんな。文学は冷たく、開かれている。遠くまで見渡せる。私にとって文学とは圧倒的な他者であり、私に呼びかける。文学は私を選ばない。遠くから呼びかける。私を私から連れ出そうとする。あなたをあなたから連れ出そうとする。そして、私は私の外に出る。
そんな感じ。もしかすると、私の考え方は豊崎由美のそれより冷たいのかもね。豊崎由美の文学は誰かを選んでくれるけれど、私の文学は誰も選ばないから。でも、誰のことも選ばず、誰からも独立しているから、私はその物語のなかで安心していられる。
カフカの「掟の門」みたいな感じもする。「この門は、おまえひとりのためのものだった」の、あれ。入るか、入らないか、だよ。同じ本を読んでも、その門のむこうの景色はそれぞれみんな違う。読書界隈の言う「読める」「読めない」なんて些細なことよ。誤読上等!お前の門をゆけ!