部屋と沈黙

本と生活の記録

映画『スパイの妻』感想

海外の賞レースで評価されたものの*1、国内ではいまいち振るわなかった(?)映画『スパイの妻』を観た。

個人的には結構おもしろく観たけれど、まぁ分からんでもない。この映画に「夫婦愛」とか「ラブストーリー」を期待すると肩透かしを食う。そもそも、公式ウェブサイトのリード文がいまいちな気がするんだよな。

太平洋戦争前夜。
愛と正義に賭けたふたりが
たどり着くのは、幸福か、陰謀かーー。

私が思うに『スパイの妻』は“ふたりの”物語などではない。スパイの妻、聡子の物語である(以下、ややネタバレあり)。

聡子は、夫である優作を守るためなら身内も売るし、尾行を警戒しているときでさえ「あなたの目になったようで」「嬉しくてたまらない」とはしゃぐ。ラスト、優作の死亡通知に偽造されたような形跡があったとテロップが流れ、その後、聡子はアメリカへ渡ったという。

だいたい、優作が聡子を本当に愛しているのなら、いずれ敗戦すると確信している日本に聡子を残して行くか?しかも、優作はアメリカへ渡ったはずなのに、なぜかインドでの目撃情報がある。

“ふたり”はどこへもたどり着かない。優作は、聡子の狂気にも似た愛からまんまと逃れたのである。とてもスマートに。こう考えると、ラストのテロップから受ける印象もまったく違ってくる。

731部隊の問題を取り扱っているからか、一部のレビューには「反日映画」とまであり、優作や聡子に「売国奴」と吐き捨てた憲兵かよと呆れる。日本の間違いを指摘しただけで「反日」?じゃああれか、アメリカとイギリスの連合国軍によるドレスデン爆撃を主題に『スローターハウス5』を書いたアメリカ人作家カート・ヴォネガットは「反米」なのか?

私は一切、狂ってはおりません
ただ
それがつまり
私が狂っているということなんです
きっと、この国では
『スパイの妻』より

この台詞だけで観てよかったと思える映画だ。かつて日本は間違えたし、アメリカも間違えた。アメリカが間違えたことなんて、ゼレンスキーのスピーチからも分かる。彼は、日本が唯一の戦争被爆国であることに“言及しなかった”。あれほど核の脅威が取り沙汰されていたのに。あらゆる発言は「言ったこと」と「言わなかったこと」で構成される*2

いずれにせよ戦争とは、人びとから人間としての性格を奪うことなのだ。
カート・ヴォネガットスローターハウス5』より

聡子が入院している病室が「6号室」なのもいい。あれはチェーホフの「6号室」、「6号病棟」への暗喩だと思う。

*1:ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞

*2:あれは本当に巧みなスピーチだったと思う