部屋と沈黙

本と生活の記録

美麗島 Underground 感想

久しぶりに音楽ライブへ行く。山口情報芸術センターで開催された“美麗島 Underground”、出演は台湾のインディーズバンド落差草原WWWW(ぷれいりー)、Mong Tong(もんとん)、百合花(りりうむ)の3組。

とりあえずYouTubeで1曲ずつ聴き、チケットを買った。ほとんど何も知らない、聴いたことがない、異国語で歌われるうたの言語的解釈もままならないまま参加し、何が起こるのか興味があった。


美麗島 Underground”
2023.8.5 Sat.
山口情報芸術センターYCAM

とくに良かったのがMong Tong。YouTubeで公開されている音源以上に、ライブがめちゃくちゃかっこいい。初めて『AKIRA』を観たときの衝撃に似た高揚感。上下白、上下黒のゆったりとした衣服に身を包んだ2人が、しばらくセッションしたあと、おもむろに黒い帯で目元を覆う。

目隠ししながら演奏するなんて、あまりにも漫画的だ(あるいはサーカス?)。ひとつ間違えば大袈裟なパフォーマンスとして受け取られそうなのに、彼らの佇まいにはわざとらしさが微塵も感じられなかった。

たとえばマルケスの『百年の孤独』を読んだときも、同じような印象を受けた。作中、死んだ子どもの流した血が町を横断して実家へ戻ってくる、というような描写がある。こんなの、荒唐無稽じゃん。物理法則に反している。でも読んでいると、それすら“まじで”起こったことかもしれない、と思わされるのだ。フィクションなのに、嘘だとは思えない。

彼らの音楽にとって必然だと思える。視界を制限することが、異界を招き入れるための装置として機能しているのだ。

AKIRA』に登場する教祖ミヤコや、『風の谷のナウシカ』のマニ族の僧正は“目が見えない”。彼らは暗闇のなかで異界と対峙し、超常の力を操る。

ギリシャ神話ではエレボス(幽冥)とニュクス(夜)からヘーメラー(昼)が生まれるし、キリスト教では暗闇あっての「光あれ」でしょ。多神教であれ一神教であれ、光の前にまず闇がある。そして、幽冥と夜の祖は混沌(カオス)だ。

「暗闇は異界に通ずる」感覚が、今も昔も変わらず、物語や言語をも超えて、ほとんどの人に備わっている。だからこそ共鳴するのかもしれない。

Mong Tongにはマジックリアリズム的な魅力がある。彼らは音楽とパフォーマンスによって場を動かし、異界を招き入れている。