部屋と沈黙

本と生活の記録

イーロン・マスクの国

いち民間企業として利益を追求するのは当然なので、イーロン・マスクが有料会員を優遇し、ツイートに閲覧制限をかけようが、DMの有料化をほのめかそうが、とくになんとも思わなかった。でも、このたびのTwitterからXへの名称変更はまじで嫌だと思っている。物理的に使いづらくなったわけでもないのに、どうしてだろう。

おそらく、この感情はパクツイに対する嫌悪感に似ている。「パクツイ」とはパクってきたツイート、つまり、よそから良さげなツイートを見繕い、さも自分が見聞きしてきたことのようにツイートする行為である。

良さげなプラットフォームを買収し、自分の好きなように作り替え、バズらせる。

パクツイと違うのは、彼がTwitterのオーナーであることだ。自分の持ちものを自分の好きなようにしているだけ、と言われればなすすべもない。勝手なことを言っているのは私のほうだ。

でも、嫌なものは嫌である。だって侵略じゃん。金で殴り、いきなり「ここ俺の国な」っつって国旗と公用語を変えてしまう、その心根が嫌。私が選んだのはTwitterであって、Xではない。初めから「俺の国」なら選ばなかったかもしれない。なのに、いきなりX国民なのがまじで嫌。

要するに、イーロン・マスクは経営者であって、クリエイターではない。彼はTwitterのオーナーになることはできても、Twitterを創ることはできないだろう。パクツイする奴らにクリエイティビティが無いように、自分に無いものをよそから補っているに過ぎない。無いなら無いでいい、よそから補うのもいい、私が嫌なのは、Twitterのフォロワーを買い、Xのフォロワーに付け替えたことだ。そのフォロワーは、Xの本当のフォロワーじゃない。クリエイティビティに敬意を払わない奴に、払う敬意はないよ。

……とはいえ、ほかに情報収集ツールとして代替可能なアプリがないからなぁ。Instagramは雰囲気アプリだし、おすすめの投稿、人気の投稿しか表示されないのは本当につまらない。「いいね」で綺麗にパッケージングされた投稿は綺麗だけど、そればかり並んでいるのは気味が悪い。美しき統制、同一化。管理されすぎているし、情報源として狭い。中国で天安門事件がネット検索できないのと同じだ。

私は、あらゆる情報に対するあらゆる人々のぐちゃぐちゃな反応が見たい。深刻な話をしている人もいれば、ふざけている人もいる。そういうカオスのなかに傾向と共通点があるからおもしろい。自分で選んでフォローした情報源だけだと、結局、自分の偏見を超えられない。