部屋と沈黙

本と生活の記録

自分の頭で考えるために私が実践しているたったひとつのこと

タイトルを読んで「普段は“自己啓発本に啓発されてたまるか〜!”とか言ってるくせに、らしくないな」と思ったあなた、ご名答。さては私のファンだな!?いつも本当にありがとう。

もうすこし自己啓発っぽくするなら「自分の頭で考えるために実践すべきたったひとつのこと」だろうか。昨今のキラキラネームの隆盛や、SMAPの「世界に一つだけの花」など*1、世の中は「たったひとつ」や「オンリーワン」が大好きらしい。つまり、好きな人が多ければ、自ずと多くの人に伝わる。

らしくなくても、伝わるものなら伝えたい。でも「実践すべき」だとは思わないので、自己啓発のようなそうでもないようなタイトルになってしまった。だって好きにしたらいいと思う。あなたは私じゃないから……こういう言い方をすると「冷たい人」って思われそう。できるだけ優しくしたいと思っているのに!だから、そう、私は私のことも、あなたのことも、最大限尊重したい。

いつも「自分の頭で考える」と言いながら、どういうふうにやっているのかを書いてこなかった。以前、Twitterで「自分の気持ちを表現せず、“自分と似たような気持ち”を検索することで済ませていないか」と指摘するツイートがバズってたような気がするんやけど、コメントには「自分もそうだった」「これからは気をつけます」というような感想が並ぶばかりで、じゃあどうすればいいのかについては、あまり言及されていなかったように思う。

私なりに「自分の頭で考える」ことを考えてみると、結局はひとつのことにたどり着きそうだった。ていうか、この記事の冒頭から何度もやってる。「自分の頭で考えるために私が実践しているたったひとつのこと」あるいは「自分の頭で考えるために実践すべきたったひとつのこと」。「好きにしたらいい」あるいは「最大限尊重したい」。

なんてことはない、別の言葉で言い換えるだけだ。自分の頭で考えなきゃ、なんて思わなくてもいい。とにかく「別の言葉で言い換える」ことが「自分の頭で考える」ことにつながる。

普段の私も「自分の頭で考えよう」とか「別の言葉で言い換えてみよう」などと考えているわけではない。天気の話をしていても「なんでだろう?」と考えてしまう生粋の“なんでなんで”オタクが、その感情や風景にいちばん相応しい言葉を見つけたい、と思っているだけだ。ただの欲望である。その欲望から手段を取り出すと「別の言葉で言い換える」だった。

このあいだ、床に牛乳をこぼしちゃったのね。拭き取り、水拭き、水拭き、セスキ炭酸ソーダスプレーののちに水拭きしたにもかかわらず、まだなんか牛乳臭い、なんでやろ……と思って、牛乳……牛の乳……つまりは牛の体液だ*2!となれば、臭いのも仕方あるまい。体液なんてそりゃあ、臭いよ!体液だもの。私も人間として生き、たまには臭い体液も出す。お互い様だと思えばそれでいい、受け入れよう、臭かろうが許す、みたいな。

同じように、たとえばTwitterなんかで自分とは違う意見を見かけたら、拒絶する前に別の言葉で言い換えてみるといいかもね。もしかしたら牛の乳みたいに許せるかもしれないし、それでも許せないのであれば、それはあなたの許せないこととして握りしめていればいい。私は、許せないことは許さなくていいと思う。たぶん、それはあなたにとって、とても大切なものだ。

ある言葉を別の言葉で言い換えるとき、自ずとその言葉、その文章が意味するところを考えることになる。それらをイコールでつなぐことができるか。

彼らはベクトルが異なるだけで、盲目的な部分はとてもよく似ている。一途、とも言えるかもしれない。彼らはとても一途だ。
2022.1.9「ある事実」より

これは数日前に書いた記事から引用してきたものだ。「盲目的」を「一途」と言い換えている。私はどうしても、こういうふうに考える癖がついてしまっているので*3、言い換えはいつも無意識だ。

「一途」には、わりと良いイメージがあると思う。でも「盲目的」とのつながりを見つけておけば、いつか詩や物語のなかに一途さが表現されたとき、そこには危うさも含まれていると気づくことができる。ひとつの言葉から、ふたつの視点を受け取ることができる。それってお得じゃない?

言葉は窓になる。別の言葉は新しい窓になって、私に新しい風景を見せてくれる。それがとても楽しい。

*1:たとえがひと昔前すぎる。

*2:身も蓋もなくてすみません。でも、wikiには「ウシ(牛)の乳汁」とあって、なんだかもっと身も蓋もない。

*3:たまに嫌になる。