部屋と沈黙

本と生活の記録

WILD BUNCH FEST. 2021の開催中止に寄せて

WILD BUNCH FEST. 2021の開催中止が発表された。火曜日の正午、スマートフォンのロック画面に表示された「中止」のニ文字を見たとき、私に落胆はなかった。やっぱりね、という諦めの気持ちもなかった。かなしくもなければ、悔しくもなかった。「音楽を止めるな、フェスを止めるな」なんて微塵も思わなかった。そんなもん、なーんもなかった。

私はただ、ほっとしていた。そして、ほっとしている自分に打ちのめされていた。

7月13日、NUMBER GIRLのWILD BUNCH FEST. 2021出演が告知され、そのときの感染状況と、県内の野外イベントであることを理由に参加を決めた。私にとって、NUMBER GIRLは特別なバンドだ。私が高校3年生のときに解散し、この目でライブを観ることは一生ないだろうと思っていた。そのNUMBER GIRLが、私のまちにやってくる。

その後、デルタ株の蔓延により感染者が急増し、音楽フェスの開催や参加者へのバッシングが強まったことで、私は迷いはじめた。

行くか、行かないか。

今の感染状況から考えると、たとえば1日につき1万人が集まるイベントにおいて、感染者がゼロであることのほうが不自然に思えた。リスクがないとは言い切れない。ゼロでなければ、やはりそれはゼロではないのだ。今や空気感染の懸念まで囁かれている。自分の選択で自分自身が傷つくのはまだしも、もし私が罹患すれば、職場に迷惑をかけることになってしまうだろう。そのとき私は、音楽フェスに参加したことを素直に申し出ることができるのか。

もうだめだった。私は、私のなかにある“後ろめたさ”に気づいてしまった。行くか行かないかはもう関係ない。“後ろめたさ”を感じている自分のことが、嫌で嫌でたまらなかった。音楽は、ライブは、私の好きなものは、そんなに後ろめたいものなのか?「そんなことない」と言い続けてきた私の言葉は嘘だったのか?私の保身が、私の好きなものを傷つける。最悪だった。もう嫌だった。考えたくない。私は私に失望する。

そして、中止が発表された。

私にとって、選択は表現である。何を選び、何を選ばないか、その組み合わせの集合体が私の個性だと思っている。その選択を、私は放棄したのだ。私はほっとしていた。「もう考えなくてすむ」、「自分で選ばなくていいことは、なんて楽なんだろう」。私は表現を、個性を、放棄したのだ。

出口は見えない。コロナ云々なんてもう書きたくないと思っていた。可愛いものに「可愛いね!」って言ったり、しょうもないことを思いついてへらへら笑っていたかった。でも書いてしまう。ワクチンにさえリスクがあり、皆それを受け入れて接種しているのに、なぜ、音楽フェスやライブばかりがゼロリスクを求められるのか。私には分からない。

しんどいね!それでも明日の私のために、ふざけた感じで終わりたい。コロナには耳がないから聞こえんやろうと思って今まで言わんかったことを言うぞ。

\_人_人_人_人_人_人_人_/
>コロナのばかやろう!!<
/‾Y‾Y‾Y‾Y‾Y‾Y‾Y‾Y‾\

コロナに伝われ!