部屋と沈黙

本と生活の記録

日々

スマートフォンのホーム画面に表示された予定を見ながら、もう1部が開演したころだな、と思う。3月に告知されたとき、わくわくしながら入れた予定を、自宅のソファの上で眺めている。梅雨のさなかに訪れた晴天のもとで、市の街宣車は不要不急の外出を控えるよう呼びかけている。

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5/26現在、山口の病床使用率は70%を超え、緊急事態宣言が出ている福岡のそれと大差ない。つい最近まで医療崩壊云々と言われていた大阪よりも逼迫している。水を受けるコップそのものが小さいのだ。感染者の絶対数が少ないために見えにくくなっているだけで、こういうことは各地で起こっているのだろう。ここでは、図書館や公園までもが閉鎖されている。

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「私の生活」か「皆の生活」か。

私の「私の生活」は、今のところ安定している。仕事はあるし、この4月にはほんの少し昇給もした。だから私は「皆の生活」を優先させることができる。「私の生活」もままならない人に「皆の生活」を優先させるなんて、あまりにも酷だろう。「私の生活」を優先せざるを得ない人は、是非そうしてほしいと思う。“私”がいなければ、“皆”も存在し得ない。

私が健康でいることが、巡り巡って誰かのためになるのであれば、それでいい。音楽を「不要不急」だと思ったから行かなかったわけじゃない。……しんどい。コロナ禍は疲れる。もう考えたくない。でも、考えなければ選べない。私はこの選択に後悔はしていない。

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数日前、閉店セールをしていた近所の雑貨屋さんで、ガラスのコップと小さな木製の棚、トングのほかにアロマオイルを買った。いつか使ってみたいと思っていたアロマオイルを安く買えて嬉しかったものの、きっとこの雑貨屋さんもコロナ禍のせいで閉店するのだろうと思うと気が滅入った。そもそもこのお買い物こそ「不要不急」なのかもしれない。

私のなかにもダブルスタンダードが存在する。県境は越えなくても、お買い物へ出かけたり、外食をしたりする。そんな自分を真正面から受け止めてしまうと苦しいから、なるべく見ないようにしていた。しんどいよ。おそらく「不要」という言葉が嫌いなんだろうと思う。そんな簡単に、上から、決めつけるように「不要」だなんて言わないでほしい。本当に要らないものなんて、きっとほんの少ししかないよ。

あーもっと、いつだって楽しい感じを書きたいのになぁ。しょんぼりしてしまう。でも、これが今の正直な気持ちだ。