部屋と沈黙

本と生活の記録

なんにも用事がないけれど、

かつて北九州市にあったスペースワールドのお土産物屋さんで、瓶詰めの“宝石”を買った。

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9歳だったと思う。なんでも好きなものを買っていいよと言われ、両親から1000円札を受け取った私は、パークのキャラクターグッズには目もくれず、どこでも買えるような、しかも石ころを選んだ。両親は笑っていたけれど、すこし呆れていたようにも思う。それでも、私にとっては宝物だった。きれいな色、不思議な模様、触るとすこし冷たくて、重い。

母とよく行くお店には、洋服や靴、鞄のほかに、ジュエリーの取り扱いもある。定価で買わない母娘なので、もっぱらセールのときに買いものをし、サービスのコーヒーを飲んで帰る、というのがお決まりのコースだった。

その日もサマーセールで値引きされた洋服を買い、コーヒーが出てくるまでのあいだ、近くに陳列されたジュエリーを見物していた。以前勤めていた本屋さんの社長に「センスの9割は経験*1」と教わってから、とりあえずなんでも見てみるようにしている。もっとも、小さくて美しいものはずっと好きだった。

まるで冷たい線香花火のぱちぱちみたい。それは、ちっちゃいダイヤモンドがいくつか並んでいる華奢なネックレスだった。高いけれど、思ったより高くない。きっと粒が小さいからだろう。それでも、揺れるたびに光がこぼれるようだった。

……買ってしまおうか。未だに、おばあちゃんからもらったパールのネックレスとイヤリングくらいしかジュエリーらしいジュエリーは持っていない。いつか、自分が稼いだお金で本物の宝石を買いたいと思っていた。誕生日だし、いい歳だし、分割にしなくてもタンス預金から一括で払えるくらいの額だし、誰も文句は言わんやろ。向かいでコーヒーを飲む母も「買えば〜?」と言っている。

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まさに“不要不急”だ。はっきり言って、石である。なんの役にも立たない。でも、だからこそ特別な気がした。今買わなくていいものを今買う、あるいは、今しなくてもいいことを今する、というのは、とても贅沢なことなんじゃないか。

どうしても必要で、急を要する。今しなければならない。
要る。でも急ぐ必要はない。今できたらうれしい。

ごはんを食べる。眠る。働く。
本を読む。映画を観る。音楽を聴く。素敵な石ころ的なものを買う。
おそらく、そのどちらも欠くことができない。

ほんとに、ちょっとしたことで贅沢ができそうやね。たとえばテスト週間中に部屋の掃除をしたくなっちゃうのも贅沢。旅行の予定はないけれど、キャリーバッグを買うのも贅沢*2。……ていうかこれ、ほとんど百閒先生やね!なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行った百閒先生のテキトーさを見習いたい。

*1:残りの1割は才能。もちろん、それを一瞬で飛び越えてしまう天才もいる。

*2:ほしい!どこかへ行きたい!