実家で犬を見守る。
両親が地元のサッカーチームを応援するために遠征しているので、久しぶりに一緒にいる。私はひとりの時間がないと不安定になるタイプだけれど、犬はもともと群れで生活する生きものだから、ひとりぼっちが不安なのは当然だ。
それにしても、実家に一泊するだけなのに、あわや民族大移動である。着替えはもちろん、本、DVD、前日の残りもののスープその他を後部座席に積み込んできた。本は7冊ある。こんなに読まんだろうがよ、と半ば呆れ、でもどうしようもない。読むか読まないかじゃなく、そこにあることが重要なのだ。それだけ今の私の部屋は私に最適化され、実家ではもう暮らせないような気がする。
もっとこう、野良犬みたいにぱっと行って、草っ原で眠るくらいの感じがかっこいいのになぁ。
クリスマスの雰囲気が待ち遠しくて、アイアンツリーにクリスマスベルを飾る。
このあいだのボタンはパーカーに付けてみた。結構可愛いよね!
あとはミッフィー。なんか似たようなの持ってなかったかって?……持ってるよ、持ってるけど、これは木製だし、なんと箸置きにもなる。
すごい!働くね!
ここ最近、TwitterのUIが変更になったことで、母のアカウントを見つけてしまったかもしれない。ホーム画面にランダムで表示されるトピックツイートに、母らしきつぶやきが連なっていたのだ。……いや、らしき、じゃないな。完全に母だった。私よりめっちゃフォロワーいるし、いいねされてんじゃん!ほかのトピックツイートの傾向から考えて、おそらく位置情報も加味されているのだろう。
検索もしていないのに母が見つかるということは、私も母に見つかる、ということだ。ひぃー!……いや、いいけどさぁ、照れくさいじゃんね!よりによって親に見つかるっていう。
たとえば鍵アカにすれば見つからないかもしれないけれど、それは私のやりたいこととは違うし。“自分のために書いている”とはいえ、自分のためだけに書いているわけではない。私とあなたは遠くにいて、いろんなことが違うけれど、とてもよく似ているねって話しかけたいがためにやってる。
あなたがどこにいるとしても、わたしたちはできるだけのことをしてみなければならない。話を伝えるためには、あなたのいるところはとてもとても遠く、わたしたちにある言葉といえば、西瓜糖があるきりで、ほかにはなにもないのだから。うまくゆけばいいと思う。
リチャード・ブローティガン『西瓜糖の日々』より
見つかって小っ恥ずかしいだけならいいよ。でももしネガティブな運用をしている人がいるなら、気をつけたほうがいいかもね。その匿名は匿名じゃないかもしれない。私はどうしようかなぁ。しばらく絵文字だけでツイートするとか?ほら、蟻が10匹で「ありがとう」みたいなさ、蟻の絵文字をこう、1、2、3、4……。