部屋と沈黙

本と生活の記録

ままならぬママ

「女ってね、ダメな男ほど放っておけないものなのよ」
「恋人がいない人に限って、人の恋を心配したがるものなのよ」
「昔話をしている男ほど将来を期待できないものよ」
「女の敵は、いつだって女なのよ」

サンリオのバレンタイン向け商品が炎上したらしい。あるキャラクターのママの「名言」に対し「ジェンダーバイアスを助長するのでは」という指摘があり、サンリオが当該商品の発売中止を決めた、というのが騒動の顛末みたいだけど……。

このニュースに対する反応の多くが、指摘した者へのバッシングだった。指摘したのも女、企画したのも女だったことから「“女の敵は女”であることの証左」というものから「面倒くさい」「心が狭い」「揚げ足取り」というものまで。なかには「偏見を持つことも多様性」というような意見もあって、すごく驚いてしまった。それを言っちゃうと「レイシストであることも多様性」になってしまう。それは、なんか違う気がするよ……。

ジェンダー云々を差し引いて考えてみても、ママの「名言」は「名言」ではなく「偏見」だと思う*1。主語が大きすぎる。「女は」とは「男は」とか。だって私は女だけど、ダメな男は放っておく。「多様性」って、主語が小さくなることだと思っていた。「女の敵は、いつだって女」の主語を小さくすれば「私の敵は、いつだって私」だぜ……!超かっこいい。

悪口はたまにおもしろい。でもさ、こと悪口と下ネタに関しては、言って許される人と許されない人がいる。みんなもちょっと思い出してみてよ!……分かるでしょ!?この人が言うと笑っちゃうけど、こいつが言うとくそムカつく、みたいなことが起こり得るの!かなしいほど不公平!!!でもそんなもん。みんな違うんだから。あなたと私は違う。

フェミニズムの難しさも、きっと主語が大きいからなんだろうな。「女」にもいろいろいる。可愛い女も、可愛くない女も、賢い女も、馬鹿な女も、すごく良い女も、まじで変な女もいる。

私がママとお知り合いだったら「それめっちゃ偏見ですよ」って言っちゃいそうだな〜。笑いながら「それめっちゃ偏見ですよ」なのか、ケンカ売るつもりの「それめっちゃ偏見ですよ」なのか、話してみないと分からない。ちなみに私が悪口を言うときに気をつけているのは、“陰口”ではないこと、笑えること、自分と同じか、自分よりも強い立場の人間に言うこと、一対一であること、かなぁ……。

それよりさ、そういう偏見を持ったキャラクター性を“母なる者”に与えたところがすごいよね。「母なる大地」とか、何かを生み出し受け入れるようなイメージーーおそらくこれも偏見の一種だろうーーを持つ者に、何かと何かを分け隔て決めつけるような発言をさせてるんだよ。すごくない?おもしろいよ。突き詰めれば文学になりそうだもん。

残念ながら私のなかにも偏見はある。もしあなたがそれに気づいたら、できれば笑いながら「それめっちゃ偏見ですよ」と言ってほしい。気づかないことが、いちばん恐ろしい。

*1:だから今回は企画のほうが甘かったと思うんだけど、そういう声は小さい。