部屋と沈黙

本と生活の記録

#絶対に読んどけっていうSF小説を読んでみた

タイムラインに流れてきた必読のSF小説トップ10にレムの『ソラリス』とオーウェルの『1984年』が入っていないのを見て「やりなおし!」と思うのは楽しい。本好きにはそれぞれ「ぼくのかんがえたさいきょうの〇〇ランキング」があり、大抵はやりなおしを命じたくなるものなのだ。

私は10冊中、3冊しか読んでいなかった。伊藤計劃の2冊と『アルジャーノンに花束を』。前者は20代半ば、後者は中学生のころに読んだ。トップ10入りした作品のうち積読しているのは2冊。せっかくなので読み始める。

ひとつはロバート・A・ハインラインの『夏への扉』、もうひとつはアーサー・C・クラークの『幼年期の終り』である。結論から言うと、『夏への扉』はいまひとつおもしろくなく、『幼年期の終り』はおもしろかったものの、あまり好きにはなれない作品だった。

おもしろくないものを「おもしろくない!」と書くのは、おもしろいものを「おもしろい!」と書くよりも100倍難しい。なぜなら、おもしろくないものを、いかにおもしろく「おもしろくない!」と書くかにかかっているからだ。つまり、おもしろくないものをおもしろく書くために、私自身がおもしろさを身につけなければならない。

その困難さを自覚しているにも関わらず、わざわざここに書いているのは、私にとってたいしておもしろくもない『夏への扉』が、2位にランクインしているからである。『幼年期の終り』がトップ10入りするのはまだしも、『夏への扉』が2位!?……なんで!?『幼年期の終り』のほうが上だろ!そもそもなんで『ソラリス』と『1984年』がトップ10外なのか……。不思議でしょうがない。

夏への扉』が好きな者どもよ、ごめん。今から、わりとけなすぞ。とはいえ、本当に「おもしろい!」と思っているのなら、お前にも書けるはずだ。おもしろいものを「おもしろい!」と書くのは、おもしろくないものを「おもしろくない!」と書くよりも100倍簡単だからな!おもしろいものは、お前がおもしろく書けなくても、おもしろいままなんだよ!自分の好きなものは自分で守れ!

以下、ややネタバレあり。

夏への扉 / ロバート・A・ハインライン
まずは『夏への扉』。SFの類型としてはタイムリープものかな。あらすじを書くのは面倒くさいので、各自ググってくれ。

時間を跳躍する方法として冷凍睡眠(コールドスリープ)が採用されているのは良かった。ごく自然というか、現代にも卵子を凍結保存する技術があるし、もしかしたらあり得るかもしれないと思える。だから、物語の前半はおもしろい。

ただ「後半からの加速度的な盛り上がり」は、私にとって「後半からの加速度的な辻褄合わせ」に感じられた。「未来を変える」というより「未来に合わせにいっている」感じ。退屈だ。ご用意されるタイムマシン、なぜかそこにいる公証人、云々。

主人公が郡役所の登記係でリッキィの結婚を知ったとき、彼は自身の輝かしい未来を自覚している。つまり、ハッピーエンドは約束されているのだ。あとは答えを合わせていくだけ。未来は変化しない。逆転もない。なぜなら最初から一本道だったんだから。

我らがD・B・デイヴィスは、D・B・デイヴィスがやったようにやっただけだ。しかし、あくまで並行世界の存在を否定するのであれば、その“先行者”たるD・B・デイヴィスとは一体何者なのか。

そのへんが都合よくうやむやにされている。もしくは私の理解力の問題かなぁ。『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』でも「え、待って、そこ、もうちょっと詳しく説明して」と思うくらいだし。

ていうか、そもそも29歳(だよね?)の男が、将来の結婚相手として11歳の女の子を眺めてんのがまじで無理。気持ち悪い。言うなれば「幼いころに目をつけた少女と合法的に結婚する方法」だもん。最悪だよ。

幼年期の終り / アーサー・C・クラーク
次に『幼年期の終り』の類型は、異星人とのコンタクトもの。これもあらすじは各自ググってくれ。

人類はもはや孤独ではないのだ。

プロローグで提示されたそれは、終末へ向け意味を変容させていく。この作品には、巧妙なミスリードが仕掛けられているのよね。読者はまず、異星人との邂逅によって、地球人がこの宇宙で孤独ではないことを示されるわけよ。

でも、読み進めていくうちに、もうひとつの解釈ができると分かる。人類が孤独ではなくなるとき、それはつまり、“私”が失われるときだ。“私”が失われ、すべてに同化すれば、孤独という概念もまた失われる。そう“人類はもはや孤独ではないのだ”。

「え~、そっち!?」って感じだよ。まさに解釈違い。これ、ほとんど宗教の話だよね。導入はキリスト教、最終的に般若心経、みたいな。たとえば異星人が姿を現さないのも、神なるものは目に見えないことを示唆しているようだし、いざ姿を現すと悪魔のような見た目なのも、神の存在を信じる者は同時に悪魔の存在も信じている、みたいな。神と悪魔は対だしね。どちらかを否定してしまうと、どちらも成立しなくなる。で、最終的に“私”が失われ、孤独も失われ、悲しみも幸せも失われて、無に帰す、と。

SF小説からの変態(メタモルフォーゼ)として上手いし、おもしろいものの、やっぱり私は好きになれないな。だって私は人類が好きだから!!!美しかったり愚かだったりする人間が好き。おもしろいもん。煩悩上等!『ソラリス』も『1984年』も人類に対する思索であり、人間とは何か、が描かれている。そういうのが好きだ。

だから読んでみなよ〜『ソラリス』とか『1984年』とかさ〜!ちなみに映画『惑星ソラリス』を制作するのにタルコフスキーとレムがケンカしてんのも味わい深い。人間だな〜!って感じ。