部屋と沈黙

本と生活の記録

私たちは不足している

Twitterに、24時間で投稿が消えるフリート機能が実装され、どういうふうに使えばいいのかなぁと考え始めた直後に「考えちゃだめだ」と思い直す。余計なことは考えちゃだめだ。“勢いに任せて投稿すること”を目的とした機能なんだから、とにかく考えちゃだめなんだ。

たとえば、このあいだ酔っ払ったときに呟きたくなったお利口さんな犬のこととか。

あるいは、自宅と職場にある私の駐車枠の番号が、両方とも素数ってこととか。11と19。……すごくない!?素数って、ビックリマンチョコに入ってるおまけシールの、何枚かに1枚のキラキラみたいなもんでしょ。それが2枚だぜ!!激レア!

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しかも11は素数かつゾロ目だ。

嬉しさの“勢いに任せて”呟こうと思ったものの、いざ文章にし始めると、私のなかの冷静が待ったをかける。

……素数、嬉しいか?

私にとってはキラキラのシールでも、所詮はただの数字。それに、今回はたまたま気がついただけで、常日頃から気にかけるほど素数にあかるいわけでもない。むしろ数学は苦手なほうで、高校の文理選択では迷わず文系だった。でも、だからこそ、理系ってなんかかっこいいな、数学って綺麗だな、と思う。

Twitter社が指摘する通り、私の場合も“多くのツイートが下書きのまま”だ。「半分壊れていたドライヤーが全部壊れた」「ポップコーンは野菜だから、キャラメルコーンもギリ野菜」「たぶん、野良ガーデナーがいる」……。

それらの思いつきがどれほどくだらなくても、私にとってはわりと一大事だから、24時間で消えてしまうのは惜しい。それに、冒頭で「考えちゃだめだ」と言いながら、「たとえば」以降、400字詰め原稿用紙1枚分以上も書き続けていることからしても、140字では足りない。

Twitterに馴染めないのは、私のこの“おしゃべり”のせいなんだろう。思い返せば幼いころから、私のいちばんの話し相手は私だった。四六時中一緒にいて、なにより手っ取り早い。必要なのは私と言葉だけだった。問い、答え、問う。繰り返す。

全部壊れたドライヤーはその後分解してみたし(折れた羽を取り出せば、半分壊れた状態に戻せそうな気がした)、ポップコーンとキャラメルコーンの野菜説はおそらく事実誤認だし、野良ガーデナーについては調査中だ。

“下書き”は“すべて”じゃない。どれだけ言葉を尽くしたとしても“すべて”にはなり得ない。書かれたことと、書かれていないことが、私を構成する。話されたことと、話されていないことが、きっと誰かを構成する。もしかしたら私たちって、みんな不足してるのかもね。それってすこし寂しくて、すごく良いんじゃないか。不足は空白に似てる。何も書かれていない。何を書いてもいい。

とはいえ、フリート機能の活用方法についてはよく分かんないまんまだから要検討……いや、違う、だからだめなんだって、考えちゃ……。