部屋と沈黙

本と生活の記録

この物語はフィクションです

もしかしたらかつての人々も、“うそ”に“ほんとう”を混ぜて伝えるしか方法がなかったときに、物語の力を借りたのかもしれない。時代、背景、対象を巧妙にスライドさせ、ひとつの“ほんとう”を示す。

現代はもっと簡単だ。たとえ物語る力が不足していたとしても、“うそ”に“ほんとう”を(あるいは“ほんとう”に“うそ”を?)混ぜて伝えるための安易な言葉がある。

この物語はフィクションです。

感染者数が再び増え始めている。あいかわらず、ほとんどテレビをつけない生活を続けているので、ネットニュースや職場での噂話が、私の主な情報源だ。感染者数の推移を眺めながら、どういうわけか「私も早くすませたい」と思ってしまう。まるで、予防接種の列に並んだ子どものような気持ちに陥るのだった。

会場になっている体育館は妙な静けさで、注射器が金属のトレーにぶつかるわずかな物音しかしない。看護師から注射器を受け取り医師は無表情のまま、複数の“腕”しか見えていないかのように、繰り返し針を刺していく。一本、一本、一本。あいうえお順に並んだ列が、すこしずつ前へ進んでいく。ひとり、ひとり、ひとり。

注射された腕を押さえ、後方へ続く長い列のそばを逆方向に歩けば、時折り「痛かった?」と尋ねられる。痛かった?うん。ううん。返事はどちらでもいい。とにかく終わった。とにかく終わったんだ、私は。

どうせ感染するなら早くすませたい。とにかく終わらせたい。私がそう考えてしまうのは、これまでに大病を患ったことがなく、健康だからだろう。ここ十数年のあいだ、体調を崩しても大抵は微熱程度で、一晩しっかり寝さえすれば、翌朝には回復していた。

感染力が強く、ワクチンも未だなく、ひとたび罹患してしまえば自身の免疫に頼るしかないのであれば、もういっそ元気なうちに終わらせてしまいたい。

医療崩壊を避けつつ、健康な人限定で、ゆるやかに感染を拡大させていくっていう考え方はダメなんでしょうか。もちろん、免疫を抑制する薬を飲んでたり、〇〇さんみたいに肺年齢がおじいちゃんレベルの人は、感染しないように気をつけて」

賛否両論がありそうな話題も、職場でならテキトーに口走って構わない。ちなみに私の無駄話は「東京都民新人類説」と「ワクチン投与による望まない新世界」のふたつで、どちらの物語も行き着く先はディストピアである。

1.東京都民新人類説
東京都における感染拡大は、ウイルスによる都民のいわばアップデートである。今後、ウイルスがより強力に変異し、猛威を振るったとき、その強化型ウイルスに対応できるのは、最初に感染し、石を投げられていた者たちだけであり、それ以外の者はなすすべもなく失われてしまう。

こうして、感染者は獲得者となる。感染によって、より強固な免疫システムを手に入れた彼らこそが新人類なのだ。

2.ワクチン投与による望まない新世界
待望のワクチンが完成し、医療従事者や優先すべき大切な人々から投与されていったにもかかわらず、なんらかの恐ろしい欠陥によって、大切にしたい人々から順に失われてしまう。新世界に残されたのは、悲しみで途方に暮れた人々と、猛威を振るうウイルスだけ。

この物語はフィクションです。