部屋と沈黙

本と生活の記録

悪魔のような好奇心

「生活維持のために必要なもの等を除く外出自粛」が解除され、初めての休日。相変わらず家にいる。根がインドア派なので、以前と何も変わらないような気もするが、以前とは何もかもが変わってしまったような気もする。テドロス事務局長は「世界は元に戻らない」と言った。

シャツにアイロンをかけながら、録画しておいたNHKの『フェイク・バスターズ』を観る。テーマは「新型コロナウイルス“情報爆発”に立ち向かう」。“「不安とつきあっていく技術」がない”という指摘は、まさに私の状況そのものだった。

そして唐突に、ここ数ヶ月に及ぶ苦しさの原因に気づく。

“県内で感染したある家族は、その地域に居づらくなって引っ越したらしい”、“ある幼稚園では、医療従事者の子どもというだけで隔離されるらしい”。

連日のニュースや人々の噂話にのぼる、悪意や差別。

私が本当に嫌だったのは、そういう人間の醜さを目にすることだった。そしてその醜さは、私自身の中にもくすぶっているという事実だった。

毎日毎日、支援を求めるツイートばかりしている人にモヤモヤした。まずは自分でもなんとかしてみろや、と思った。宗教上、神への冒涜とされていた火葬をせざるを得ない人々がいると知り、生きるうえでの拠り所(あるいは思想)を奪われた人の心の動きに興味が湧いた。人が大勢死んでいるのにもかかわらず、もしかしたらこれがきっかけとなって、国のお仕着せではない、本当の働き方改革が進むかもしれないと期待した。「非実在型デマ」によって、事実ではなかったはずのことが事実になっていく様を、おもしろいとさえ思った。

悪意、偏見、悪魔のような好奇心。

私は良い人間ではない。たいして優しくもない。だからこそ、できるだけ良い人間でありたいし、優しくありたいと思っているのに、うまくいかない。程度に差こそあれ、結局はお前も同じだと、指をさされているようで苦しかった。

当然、落ち込みもしたけれど、原因が分かったことで落ち着きもした。原因が分かれば、対策ができる。対策ができれば、より良くなる。そう思えるだけで慰めになった。明日は、より良くなる。

雨の音を聞きながら昼寝をする。お風呂のお湯が出しっぱなしになっていることに気づいてハラハラしている夢を見た。