部屋と沈黙

本と生活の記録

私のなかの壊れた部分

「これは……39度!?」

目盛りが渦巻き状の水銀体温計ではよく分からず、慌てて借りた電子体温計の結果は“36.8”。「!?」と思ったところで目が覚めた。

§

水銀体温計での測定には時間がかかる。Siriに「10分」と伝え、直前まで見ていた夢をぼんやり思い返していた。電子体温計の多くは予測体温で、実体温に近いのは水銀体温計のはずなのだが……。

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36度5分、平熱である。もちろん、目盛りは42度まで真っ直ぐだ。先週金曜日、このコロナ禍が始まって以来初めて県外移動をした。夢にまで見るくらい気にしていたんだな、と思いながら、現在まで変わらず健康であることにほっとしている。

とはいえ、今の状況から考えると、私もいずれは罹患するだろう。罹患せずにすめば超ラッキーなのだが、超ラッキーに人生をかけるのは博打である。今朝、こういう記事を見つけた。

なんともいえない不思議な記事だ。「接種者の排他性」を批判しているようにも読めるし、暗に「未接種者」を批判しているようにも読める。私はいわゆる「未接種者」であり、記事の女性のように「打てなかった」わけではなく、自分の意思で「打たなかった」のだが*1、今のところ身近な「接種者」から排他的に取り扱われたことはない。

もし私が新型コロナウイルスに罹患したら、私の職場の人間関係も一変するのだろうか?

おそらくこの時点で「不安」を抱くのが一般的なのだろう。しかし私は「不安」を抱くのと同時に「見ものである」とも思ってしまう。場がどう動くのか見てみたい。私や他者の感情がどのように変異していくのか。そこに「悪意」があるのだとしたら、それはどういうかたち?

見たい。

たぶん私はどこか壊れているのだろう。自分の身体を使って実験するマッド・サイエンティストの気持ちが分かる。“知りたくてたまらない”。

私の周りでも3回目の接種が始まっている。2回目の接種で頭痛があったという人は、3回目では38度5分の高熱が出て仕事を休み*2、2回目の接種でお腹を壊したという人は、3回目では微熱と強い頭痛に見舞われていた*3。「3回目は打たない」と言っている人もいれば、迷っている人もいる。

いずれにせよ「接種者」「未接種者」の分類だけで判断を下すのは、たとえば「男性」「女性」の分類だけで判断を下すのと同様に早計であると思う*4。それらはあらゆる「事実」のなかのひとつにすぎない。誰もがグラデーションであり、多数派であり、少数派であると思う。いろいろな人がいる。

私が見たいのは、私が知りたいのは、私が大切にしたいのは、ただの大きなまとまりなんかじゃなく「あなた」なんだということを忘れずにいたい。「あなた」を見ようとしなければ、それはいつか差別になり、侵攻になる。

*1:

*2:30代女性。3回ともファイザー

*3:40代男性。1、2回目がファイザー、3回目がモデルナ。

*4:しかも「接種者」であれば重症化しないとして入院できないこともあるというから異常だよ。ひとつの「事実」に判断を委ねすぎている気がしてならない。