部屋と沈黙

本と生活の記録

自由と判断

文化だから
朝の情報番組で、上げ馬神事の是非が取り上げられていた。見直しに反対する人の「文化だから」という言葉が腑に落ちない。文化だから、なんだっていうんだろう?伝統、慣習、それまでの常識。かつて、文化的背景から認められていなかった女性の参政権も、文化だから、そのまま認めないほうがよかったのか。

「文化」を根拠にするのは好きじゃない。「文化」と言っておけばもっともらしく聞こえるけれど、何も言っていないに等しい。ライブでのモッシュやダイブを「文化だから」で容認する人間も嫌。文化だから、慣習だから、なんだっていうんだろう?文化は理由にならない。文化としてのモッシュやダイブを守るためには「文化だから」の先に踏み込まなければならないのに、そうしない。彼らの意見は空洞だ。つまんねーな、と思う。

文化に頼り、文化に固執するあまり、文化の首を絞めている。このコロナ禍がそうであったように「怪我をするかもしれない」で、何もかも制限されてしまう前に。

離合
書面をチェックしていたら「離合*1」とある。関東圏から異動してきた人には通じないだろうな。あきらかな誤記があれば訂正を求められるけれど、そういえば「離合」の訂正は求められたことがない。そのまま提出。

自由と判断
「個人の自由」と「個人の判断」では言葉に含まれるニュアンスが異なると思うのだが、同一の意味で取り扱っている人がいる。私が捉えている感覚を説明するには「ふるまい」を付け足すと分かりやすいかな。つまり「個人の自由なふるまい」と「個人の判断によるふるまい」。責任の重さの違い、というか。前者は子どもでもできるけれど、後者はある程度の能力が必要になる。

言葉を使った表現が好きな私にとっては大きな違いが、ある人にとってはそうでもない。外国人あるいは若者の顔が皆同じに見える現象、みたいな。つくづく、言葉で伝えるのは難しいと思う。でも、言葉を多層的に捉えられると物語や詩を読むのがもっとおもしろくなるよ。ついでに、空気を読むのも上手くなる。空気を読む能力は、その空気をぶち壊すためにも必要なんだよ。合わせたり、壊したりしてこそコミュニケーションだと思う。

どすこい!
タイムラインを流し読み。「どすこい!」かと思ったら「知らなかったけど、すごい!」だった。どすこいどすこい!

*1:中央線がない狭路における直進車同士のすれ違い。「離合できない」は「すれ違えない」。