部屋と沈黙

本と生活の記録

「あるよ!」

いっぬっのー!おまわりさん!!!

SNSとの距離感が未だに掴めない。冒頭の文章は、酔っ払っていたときに無性に呟きたくなった一言なんだけど、わずかに残された私の冷静が「やめておけ」と言うのでやめた。

たとえば「いっぬっ」ってところが可愛い。犬を困らせたらかわいそうやろ!とも思う。でも、あたふたしている犬は可愛いし、そもそも「犬のおまわりさん」が町を守っているなんてお利口さんすぎる。あー撫でたい、犬を。

という気持ちがたかぶり次第におもしろくなって(酔っ払いにありがち)、笑いながら小声で歌っていたのだが、何がそんなに楽しかったんだろう?今となってはもう分からない。

「人様にご迷惑をおかけしない」というのが、私の基本理念である。そして、せっかくなら「欲しがっているものをあげたい」。

その上で、タイムラインに「いっぬっのー!おまわりさん!!!」いる?……いや、私自身は“いる”し好きなんだけど、“いらない”人がいてもおかしくない。だってさ、いらないものは、いらないよ!

ブログなら途中で読むのをやめればいい。でも、Twitterにはピンポンダッシュみたいなとこがあるじゃん。そうじゃなくて、できることなら、ひとりぼっちのきつねのごんが、ひとりぼっちの兵十んちの土間に置いた栗みたいな呟きがいいよね。

じゃあ何が“栗”たり得るか……、などと考え始める自分がもうほんと面倒くさい。勝手に呟いとけ!と思う。“ある”かどうか分からなければ、“いる”かどうかも分かんないんだから。「あるよ!」の心意気でいけ。

10月の配信イベントの予約を進める。いなかの民としては、今後もこういう配信を続けていってほしいなあ。

12月のYCAM爆音映画祭2020も楽しみ。私にとっては、2018年に観た『AKIRA』以来の爆音映画祭だ。ラインナップを眺めて、ダムタイプの新作パフォーマンス『2020』のチケットを購入。このコロナ禍を経験してから「身体が発する言葉」あるいは「言語としての身体」に対する興味が尽きない。

これを山口で、しかも爆音で聴いて、観ることができるんだ。視覚も聴覚も身体に備わる。言葉も記憶も、身体が先にある。