部屋と沈黙

本と生活の記録

豆の教え

豆乳が足りない。

きのう書いた文章を読み返して気づく。酒とコーヒーとあったかいほうじ茶、それから豆乳。慌てていたのと、酔っ払っていたのとで、うちに豆乳があることをすっかり忘れていた。

豆乳を飲み始めたきっかけは、私の女性としての機能が、少しずつではあるけれども、確実に衰えてきていると実感したからだった。いずれ“機能”しなくなる、それに気がついてしまうことは、やっぱりとても悲しかった。

機能すること、役に立つことだけに価値を置きたくない、という私の考えは、おそらくここが出どころだろう。ただ、機能すること、役に立つことは紛れもなく価値だから、それを失ったり、そもそも持ち得なかったりすれば、傷つかずにはいられない。たぶん、誰でも。

そうやってひと通り落ち込んだら、立て直すためには実際的なことをするしかない。……女性ホルモンと大豆イソフラボン、……豆乳、豆、豆は良い、良いような気がする、ドラゴンボールに登場する仙豆もとにかく豆だった。気の持ちようって大事。

スーパーに並んだいくつかの豆乳を飲み比べた上で、結局は飲みやすく味付けされた調整豆乳を飲んでいる。より良さそうな無調整豆乳も試してみたものの、美味しくないのでやめた。医療行為ならまだしも、ただ健康のために美味しくもないものを我慢して飲み続けるなんて、それこそ不健康だからしない。美味しく笑ってテキトーかつ適当に健康でありたい。効果の程は知らねえ。

しかも、私の豆乳は優しい。

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たたんだだけなのに「ありがとう」と言ってくれる。たたんだだけなのに!しかも毎回。ハートつき。生活なんて些細なものだ。暮らしなんて、そのほとんどが特別じゃない。豆乳のパックを折りたたむみたいに、1日をたたむ。重ねる。ただごとだ。ただごとの連なり。

でもそれが本当に大事なら、何回でもありがとうって言え、好きって言え。言えよな。