部屋と沈黙

本と生活の記録

私は偏見のかたまり

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ある政治家の「女性が多い会議は時間がかかる」という発言が国内外で波紋をよんでいるというニュースを見かけて、以前、うちの上司が誰かのハゲ*1を笑っていたときのことを思い出した。

「最悪!そういう言い方嫌いです!自分ではどうしようもないことをあげつらって笑うとか……まじで嫌、ほんとに嫌いです!」みたいなことを私が言うと、上司は余計におもしろがって誰かのハゲがどうのこうのと言い始めるから、私も必死になってその見知らぬ誰かを庇い続けた。

当事者不在の謎の押し問答を繰り広げながら、ふと、もしかしてこんなふうに私が必死で庇うことも、ひとつの偏見なんじゃないか、と思う。頭髪の有無において、ことさら熱心にハゲの肩をもつ。ついでに、その必死さが余計に当事者を傷つけるのかも、とも。

ハゲを笑う。ハゲを庇う。なんていうか、ベクトルが違うだけで、力の大きさは同じなんじゃないか。いずれにせよ結局は私もまた、偏見から逃れることはできないのだ。

偏りのない心は美しい。そう思っていたから、できるだけフラットな視点で物事を見つめるように努めてきた。でも、ここ最近、その考え方が少しずつ変わってきている。そもそも偏っているのなら、過剰でありたい。良い感じに偏りたい。偏愛、みたいなものだ。好きという気持ちでずぶずぶにえこひいきしてみたい。

言葉足らずが誤解を生みそうでこわいけれど、偏見っておもしろくない?斜めから見るとまた違った見え方がするように、偏った見方が不意に確信をつくことがある。いつもいつもおんなじ場所から眺めていては、きっと一生見ることができない。新しい風景が、すぐそこにある。

今後、誰かのなかの偏見に気づいたときは、自分のなかの偏見を点検する機会にしよう。自分が偏っていることを、きちんと自覚しておきたい。私は偏見のかたまり。えこひいきするし、肩入れもする。私は、これからもっと、より良く偏って生きる。

*1:私たちは『薄毛の方』って言わなくちゃいけないの。ハゲって、ほら、差別用語なのよ。私、一度冗談で『頭髪の不自由な方』って言ってみたの。そしたらすごく怒られちゃった。/村上春樹ねじまき鳥クロニクル』より