部屋と沈黙

本と生活の記録

「大人1枚」分の飛沫

きのうの夕方に家事のほとんどをすませてしまったから、今日は朝から本を読んでいた。

サイドテーブルの上に




板チョコレート

が積み上がっている。

金曜日、仕事帰りに寄った図書館は閑散としていた。閲覧台の椅子は間引かれ、作り付けのソファには養生テープでバツ印がつけられている。そのバッテンとバッテンのあいだで目を閉じていた彼女はおそらく眠っていたのだろう。

紫外線で本の殺菌消毒をする機械は動かない祠のように安心を祀っている。それが動いているところを見たことがない。私はあまり気にならないけれど、気にしたほうがいいのだろうか。分からない。何が正しいのか分からない。それを動かそうとする人は、もうここへは来ない気もする。

周南市美術博物館でやっている猪熊弦一郎展へ行きたいと思いながら、たとえば「このご時世、土日に美術館へ行くなんて」という文章を目にすると迷ってしまう。垢抜けない地方のフリーペーパーと一緒にポストへ投函されていた展覧会のチラシの隅に、50円の割引券が付いている。私はそれを三角形に切り取ってしまいたい。ほんの「大人1枚」分の飛沫だから、許してほしい。

県内でこの調子だから、このまま4月にバンアパ主催のフェスが開催されたとしても、私はきっと行けないだろう。気持ちがくさくさする。だってさ、バンアパは当然として、渡邊忍もおそらく出演するだろうから、ものすごく楽しみにしてたのよ。iPhoneのロック画面を渡邊忍にするくらい楽しみにしてたの。インターメディアテクにも行ってみたかったし、古書店とか雑貨屋さんとか、春の夜に光る東京タワーも見てみたかった。

でも仕方がない。これはただ“仕方がない”ことなのだ。

正しさを提示しないまま他者を非難し、溜飲を下げるようなことはしたくない。それを悪とみなすなら、正しさを教えてほしい。ハッシュタグになんかまとめてほしくない。非難ではなく批判でもって、何が正しいのか分からない私に教えてほしい。

目が覚めたときには、栞の代わりに挟んでおいた左手の親指が痺れていた。