部屋と沈黙

本と生活の記録

意味を持たない贈りもの

自分への贈りものは、意味を持たなければ持たないほどいい。よく「頑張った自分へのご褒美に」なんて言うけれど、私は私が頑張らなくとも褒美を与える。

誕生日にクリスマス、入学、卒業、結婚、出産ーー。この世は意味のある贈りものにあふれている。意味のある贈りものは素敵だ。たとえば日常的に結婚指輪をしている人を見れば、良いなぁと思う。結婚指輪は「約束がかたちになったもの」という感じがするから。かたちのない約束にかたちを与えて身につける、一緒にいる。それってなんて素敵なんだろう。

既婚者にこういう話をすると、大抵は「結婚に夢を見すぎ」だの「考えたこともなかった」だのと言われるのだが、いいだろうがよ〜、夢くらい見たってよ〜、夢を見たうえで結婚し、結婚に夢を見すぎだったな……と諦念するところまでセットでやらせろ〜、と思う。それくらい、意味のある贈りものは素敵だ。

もちろん、意味を持たない贈りものだって負けてはいない。ちょっと想像してほしい。あなたの自宅にやってきたあなたの大切な人が、ちいさな花束を抱えています。まずひとつ。「今日は〇〇の誕生日でしょ、おめでとう!」。もうひとつ。「いや、なんかきれいだったから、あげる」。

……どっち!?どっちが好き!?後者だよね!ね!?なんの脈絡もなく、きれいだと思ったものをくれるって、すごくない!?……ほんとにすごい、すごすぎて苦しい、ときめきでしにそう。

というわけで、私は意味を持たない贈りものが大好きだ。ついでに、私は数年前から「自分の好きなタイプに自分がなる(そうすれば自分の好きなタイプと一生一緒にいられる)」と心に決めているので、自分に意味もなく贈りものをする。

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買っちゃったねぇ……。なんかきれいだと思って。

ついこのあいだ素敵な石ころ的なものを買ったばかりで*1、自分でも「また!?」と思う。しかも庶民派だから、高いお買いもののあとはほんのちょっとヘコむのよ、なぜか。でも、うれしい。きれい。毎日飽きもせず「きれい」と思う。中指からひかりの粒が幾つも幾つもこぼれ落ちていく。

特別な何かをやり遂げても、やり遂げなくても、あなたが好き、あなたは素敵。意味を持たない贈りものには、なんとなくそういう感じがある。


おまけ
花束の例え話がぴんとこない人もいるだろうなぁ。私のリサーチでは、花束をもらってうれしいと感じる女性は半々、といったところ。私の場合「なんかきれいだったから」と言われて花束をもらえば、命の危険を感じるほどにときめくのだが……。

今週のお題「自分に贈りたいもの」

*1: