部屋と沈黙

本と生活の記録

恐怖について / ホラーと小説の相性

Twitterの読書界隈が「ホラー小説」で盛り上がっており、なんだろうと見に行ってみると「ホラーと小説は相性が悪くて悲しい」という内容のツイートが話題に上っていた。

個人的には、ホラーこそ小説との相性が良いと思う。しかし、彼(あるいは彼女)によると、ホラー小説には絵や音がないため臨場感に乏しく、自ら読み進めなければならないことや、連載になると物語が中断してしまい、恐怖感が持続しないことなどが、相性の良くない理由だそうだ。

つまり彼(あるいは彼女)は、ホラー小説とホラー映画を比較している。「自ら読み進めなければならない」ところはもう、小説はそこから逃れることはできないので置いておくとして*1、物語の中断についてはなるほどな~、と思う。

とはいえ、私はやっぱりホラーこそ小説と相性が良い、と言いたい。それはつまり、彼(あるいは彼女)と私とでは、恐怖という感覚の捉え方が異なる、ということなんだろう。

たとえば音。大きな音が鳴ってびくっとするのは身体的な驚きであって、恐怖ではない。あるいは何かを切断する音に抱くのは嫌悪感であって、恐怖ではない。絵も同じだ。驚きと嫌悪感。私にとってそれは「恐怖」ではない。

恐怖って、なんかもっとこう、静かなものだと思うんだよ。纏わりついて離れない、近くにいるのにそれが何か分からない、いつのまにか見えないものに掴まれて身動きが取れない、そんな感覚。小説は得意分野でしょ、見えない、触れない、聞こえない、もとからそういう箱に閉じ込められているんだから。小説をそういう「表現の箱」として捉えると、ホラー小説の連載が不利なのは納得できる。最初からひとつの箱として出したほうが絶対に良い。閉じ込めて、そこから二度と出さないために。

なおTwitter上では反対多数の雰囲気で、わりと意地悪な意見も出ているんだけど、プロの小説家らしき人が「特にヒット小説を出していない人物の無意味な創作論」と悪様にツイートしていて嫌な感じだったなー。それって「権力がない者の発言に意味はない」と言っていることと同等なのに、本人がそれに気づいてなさそうなところがまじでホラーだよ。プロの小説家なのに想像力が乏しいというか。。まあ、これも「無名なブロガーの無意味な感想」って言われちゃうかもね。あはは!

私はおもしろいけどな。無意味だとは思わない。彼(あるいは彼女)のおかげで、私にとっての恐怖を考えるきっかけになったから。あなたにはあなたの恐怖があるように、私には私の恐怖がある。同じ「恐怖」なのに、だよ。おもしろいよね。

ちなみに私のおすすめはシャーリイ・ジャクスンです!たしかに良いホラー小説は短篇に多くて、ジャクスンの作品のなかでも短篇集の『くじ』が好み。ただ、これはホラー小説というより恐怖小説かもしれない。私にとって、物語の主軸が「怪異そのもの」にあればホラー小説、「怪異に対する人間の反応」にあれば恐怖小説って感じで、勝手に分けてんの。私はもっぱら恐怖小説だね。怪異よりも人間の感情に興味がある。

あとこれも何回か書いてそうだけど、ケリー・リンクの「モンスター」っていう短篇が本当に好き。作中のモンスターがもうピュアピュアのピュアってくらい汚れのない悪意そのものなのよ。ある種の美しさまで感じさせるような悪意、と書くと誤解を招きそうなんだけど。。ドライブ感のある、かっこいい短篇だと思う。

日本の小説で真っ先に思い出したのは舞城王太郎の『淵の王』。7年前にこのブログで書いた感想を読み返してみて、我ながら何言ってんのか分かんなくて笑っちゃった。説明が下手くそすぎる。

私は、私が知らない感覚を知りたくて小説を読んでいるんだけど、それに応えてくれた物語のひとつだね。かなりの衝撃を受けた。もっとライトな感じでストーリーを楽しむなら『深夜百太郎』かな。読みやすいし、おもしろいよ。

*1:オーディオブックならワンチャンあんのかな~?くらい?